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変形性関節症

真夜中に熱戦が繰り広げられたロンドン・オリンピックも終わりました。
日本選手は、「史上初」「○○年ぶり快挙」と大きく歴史を変え新しい時代を迎える、
大活躍でした。

新しい時代を迎える・・・
受け継がれる志があるからこそ。
そして、受け継ぐ絆があるからこそ。

オリンピックの代表選手の座を射止めるまでの軌跡、世界選手権6度を制しながら
オリンピック出場がかなわず一度引退した選手がよみがえり見事金メダルに輝いた
レスリング女子選手、同じレスリングで3連覇を果たした女子選手、残り僅か2秒で
2ポイント差を跳ね返したフェンシング選手・・・。

大きな感動と勇気を与えてくださった選手のみなさん。
本当にありがとう。
活躍する選手たちの「あきらめないで良かった」の言葉。
私の心に、しっかり刻まれました。
あきらめなければ・・・夢は 願いは きっと 叶う。

右手中指の痛みは、変形性関節症という診断を受けました。
手指の変形性関節症では、指関節の骨を覆う軟骨がすり減って、指に痛みや
変形が現れます。
指先から数えて1番目の関節に軟骨のすり減りが生じるものをヘバーデン結節、
2番目の関節に生じるものをブシャール結節、親指の指先から数えて3番目の関節
(CM関節)に起こるものを母指CM関節症といいます。

いずれも女性に多い病気だそうです。

他の指にも、それらしい?症状がみられているそうで・・・。
右ひざにも軽い痛みがあり、診断してもらうと、やはり、変形性関節症に
なりかけているとのことでした。

ネットで調べてみると・・・
手指の変形性膝関節症の多くは、2~3年で進行が止まり、痛みもとれてきます。
しかし、残念ながら変形した関節はもとに戻すことはできません。
痛みも2~3年でおさまるとはいえ、それまでの間、痛みとどう付き合うかが
問題になります。そこで、治療では痛みを緩和させ、関節の変形の進行を
食い止めることが中心になります。

痛みに対しては、消炎鎮痛剤の内服や湿布、軟膏などを使います。
また、テーピングや小さな装具による固定も有効です。そのほか、
温熱療法も痛みを軽減するのに効果があります。

自宅でのケアとしては、手の血行を良くしたり、関節が曲がった状態で
固まらないようにするために、入浴時は湯船の中で手指を動かすように
するとよいということ。

私の場合、最近、痛みは軽くなりつつありますが、関節は変形したままで、
曲げ伸ばしはしづらいです。
また、長時間パソコンなど使っていると痛み出します。
何事にも上手に付き合っていこうと思います。

最近・・・腹部に膨満感があり、苦しいです。
腸閉塞でなければいいけど。
お腹が張るので、胃が押さえつけられるのか、あまり食べることができません。
お通じもあまり調子よくありません。

夏バテ?体調整えていかなくちゃ。
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空を見上げて

今日から、抗がん剤治療 16クール目

いつもと変わらず、点滴後の急性の副作用もなく、普段通りに過ごしています。
ただ、掌のヒリヒリ感が強く、休薬期が終わってもあまり回復しません。
それから、手指先の色素沈着が目立ってきて、よく利用者の方が心配して下さり
「どうしたの?指の色が変よ。痛いの?無理しちゃだめよ。」と言って下さいます。

人生には思いがけないことが起こることがあります。
進行がんの告知を受けてから1年が経ちました。
とても辛いことがあった時、誰かのせいや何かのせいにすることは簡単。
けれど、私は、自分の人生を否定してはいません。
人生は、自分の考え方次第で変わっていきます。

「あなたのがんは今の医療では治せない」
そう告知され、「もう治らないんだ。私の人生、もう終わり。治らないがんのために、
治療に苦しみ、生きる楽しみさえ失うなんて、そんなの嫌。」と、自分の人生に
生きる意味も価値も見失った時もありました。

毎日、どこへ出かけるでもなく、何を思うことなく・・・
ベランダから空を見上げていました。

澄んだ空気を肌に感じながら、朝陽が輝く東の空を見つめて 
蝉しぐれの中、真っ白な雲と照りつける太陽の夏空を見上げて
茜色に染まる夕暮れの西の空の色が悲しくて憂う
そして、星に彩られた夜空に儚いような切ないような思いを感じて・・・
「何のために、私の明日はあるの?」 と心に呟いていました。

でも、空を見上げていると・・・少しずつ、自分の心が変わっていきました。

空の色が 眩しくて 優しくて 愛おしくて
空を見上げていると、生きているんだって 一人じゃないって 思えて
明日があるって信じられて 少し勇気が湧いてきて 
前を向いていけるような気がして 探していた答えが見つかるような気がして
きっと 希望につながると信じられるようになって

空は・・・心の鏡なんです。

ロンドンオリンピックで、内村航平選手は、鬼門の「あん馬」を見事に乗り切り、
「跳馬」では素晴らしい着地を見せてくれました。

そして、彼のこだわりである「美しい体操」が認められ、世界の頂に立ち、
金メダルを胸にしました。

誰もが彼の金メダルは、ほぼ確実と思われていたでしょう。
けれど、その彼でさえ、金メダルを手にした時、「夢かと思った」と言います。

表彰台で、何度も金メダルを見つめる彼の脳裏には、これまでのいろいろなことが
思い起こされたのでしょう。ほっとした安堵感とともに、自分を信じてやってきた
今日までを愛おしく感じているように見えて、とても印象的でした。

ちなみに、彼は1000種類の技をこなせるそうですが、「美しい体操」完成度を
上げるために、その中から、厳選した技を演技構成に組み立てたそうです。

彼の「美しい体操」を信じる強い気持ちが、夢を叶えたのです。

人には、それぞれに苦しい試練を抱えて生きています。
そして、人生にはいろいろなドラマがあります。

人を魅了したり、感銘や感動させたりすることだけが人生のドラマではなく、
自分と向き合い、精一杯に生きている毎日が、その瞬間が、人生を輝かせます。

私は、自分の選んだその道を その道を選んだ自分を 信じて生きていていきます。

今日は、向日葵の花を買いました。なんだか元気になれるような気がして。

himawari.jpg
向日葵の花言葉は
「あなたを見つめる」「あなたは素敵」「私の目はあなただけを見つめる」
「いつもあなたを見てる」「あなたを幸福にする」

なんだか、相手を思いっきり愛する気持ちを伝える花言葉ばかりですね!

私も、向日葵のように、あなたを照らす、太陽のような存在でいたい。

幸せは自分の心から

最近、保湿クリームとして愛用しているのは、「素肌しずく パックゲル」
ゲルと言うよりは水分がとっても多いクリームと言う感じです。

本来は、お顔のお手入れ用ですが、私は(贅沢にも?)手足の保湿クリームとして
使っています。

容器は普通のジャータイプですが、店頭にならんでいると、しずく形の117277.jpg

が目を引きます。

化粧水+乳液+美容液+クリーム+パック の5つの効果を持った
オールインワンゲル。
肌の内側はしっとり、外側はさらさらっとしていて、手ざわりもとっても
優しい感じです。
そして、薄いパック膜が肌の表面を覆ってくれることで、パック効果が
期待できるらしいのです。

また、美容(保湿)成分として、コラーゲン、セラミド、プラセンタ、コエンザイムQ10、
大豆イソフラボン、EGF様ペプチドが入って美肌に期待できそうです。
さらには、出雲の精製水を使用し、無香料、無着色、無鉱物油なので、安心で安全。

掌に、たっぷりつけて、両手でくるくる~ってマッサージしながら伸ばしていくと、
ゲルが肌になじんで、サラッと「水滴(しずく)」に 変わります。
べた付かないけど、潤いをギュッって閉じこめて保湿してくれる感じ。

120g 税込1995円の価格も嬉しいです。
今日も、お店で手にとっていたら、30代くらいの女性が、
「これ、これ。これいいのよ~」と一緒にいたお友達に勧めていました。

このゲルを使い始めてから、手足症候群の肌荒れ(皮膚めくれ)がかなり良くなってきています。
お肌にも、手の保湿クリームとしてもお勧めです。

がんになってから、私の生き方はかなり変わりました。
以前の私は、何かと「考えてしまう」。
考え始めると、やはり、何かと理由をつけて、一歩踏み出すことに躊躇ってしまう。
時間がない 経験がない 知識がない  
反対されたら・・・ 失敗したら・・・ 結果が出なかったら・・・ 
考えれば考えるほどに、前に進むどころか 後ろに下がってしまう。

けれど、今は、時間は作るもの 経験は積むもの 知識は学ぶもの
反対されたら その理由を受け入れて 一緒に協力してもらえる方法を考えればいい
失敗したら それを糧にして次に活かせばいい
結果が出なくても 頑張って取り組んだ自分を誉めてあげよう

楽しくありたい 笑顔でありたい 幸せでありたい

幸せは、人それぞれです。なぜなら、自分の幸せは、自分の心が決めるものだから。
そう・・・幸せは 自分の心から生まれるもの
幸せはつかむものでなく、感じるものと思います。
何より、自分の心が感じた幸せを、信じることが大切なのではないでしょうか。
だからこそ、「自分の心を大切に」

がんになってから・・・何でもない小さなことに幸せを感じる自分がいます。
当りまえのことに感謝して 幸せを感じます。

今日も ご飯が美味しかった
今日も お風呂でアロマのいい香り
今日も 元気に過ごせた

明日も、やりたいこと やってみたいこと やってみよう
大丈夫 きっと 上手くいく いいようになるから。



希望を持って

最近、お仕事も忙しくなり、また、指の関節の痛みもあり、ブログの更新が
なかなかできませんが、毎日、元気に過ごしています。

リュウマチの検査結果は、問題なし!でした。
良かった。良かった。良かったぁ~!
ゼローダの2週間の休薬後、再開しましたが、掌の腫れやヒリヒリ感もなく、
足裏の水泡も治まっています。
2週間の休薬って、からだへのダメージを回復するためには、大切な時間
だったんだなと思います。

からだのこわばりも関節の痛みも、休薬前よりも楽になっています。
やはり、抗がん剤の副作用?
がん患者さんのブログでも、同じように関節の痛みを抱えている方も
いらっしゃるようです。
からだへのダメージは、人それぞれに、いろいろな症状として出てくる
ものなのかもしれませんね。

何より、症状が日常生活に支障を感じたら、休薬の調整とセルフケアを
怠らないことです。
我慢しすぎないこと 大切です。

さて、明日はEXILE TRIBE LIVE TOUR のビューイング
inシアターに出かけます。
4時間30分 楽しみます!!!!!

このライブのテーマは “願い”
私の願いは ただひとつ 少しでも元気で笑顔でいられますように・・・
祈りのような願い・・・

それだけ願っても すぐにはどうにもならないこと
どうすることもできないこと
時が経たないと解決できないこと も 現実にはあります。
人生において、どうしようもないことにぶちあたった時、その思いをどこに
もぶつけることができない時があります。

ちょうど1年前のこの頃、私は、病院の窓から夏を感じる青い空を見つめていました。
検査が続く毎日・・・
腸閉塞になるリスクが高いため、経口摂取はできず、中心静脈栄養のため、
(大静脈(胸か首か鼠径)にカテーテル(管)を入れて高カロリー輸液で
栄養補給する術式)24時間、点滴台につながれていました。

どうしてこんなことになってしまったの?
どうして 私が がんなの?

どこにも行く宛のない悲しみに押しつぶされそうな自分を
どうしたらいいのかもさえもわからない。

青い空さえも、くすんで見える・・・
高い空さえも、空しく感じる・・・
今までにも 辛いこと 悲しいこと 苦しいこと いっぱいありました。
確かに、真面目一筋に生きてきたわけではないけれど・・・
でも、その都度、自分なりに一生懸命に乗り越えてきたのに・・・
神様は、まだ・・・許してくれないの?
どうすることもできない現実に、何もかも失ったような気がしていました。

そして、今・・・
くすぶり続けるやり場のない思いを持ちながらも、“今”を精一杯生きています。
どんな時も、今を乗り越えること。
それが 明日からの未来につながるかもしれない そう信じています。
たとえ、やるせない思いを持っていても、希望を込めて、
一瞬一瞬を乗り越えていこうと思います。

がん情報
がん治療費.com
胃がん・肺がん・大腸がん・肝がん・乳がんの治療費に関するサイトです。
がんの標準的な治療法とそれに伴う費用が調べられます。
また、がんに関する情報もあります。



母の一周忌

今日は、母の一周忌 そして 父の3回忌

1年前の今日の今頃・・・
私は、白装束に身に纏い、眠るように横たわっている母の顔を
見つめていました。
「ママ・・・やっと帰ってこられたね。今日は、一緒に寝ようね」

この日の午前中、私は注腸検査の結果、大腸に悪性が疑われる腫瘍が
見つかり、週明けに入院することになりました。

検査で疲れ切り、横になっていた私に、病院から電話がありました。
「お母様の容態が良くありません。すぐにいらして下さい。」

腹部の痛みとからだのだるさを感じながらも、すぐに病院へ向かいました。

そして・・・病室に入る瞬間、看護師さんが大きな声で母に言いました。
「夫佐子さん 娘さんが来ましたよ!娘さんですよ!夫佐子さん!」

病室に入り、母を見ると・・・すでに息づくことなく顔は白くなっていました。
「なんで・・・なんで・・・待っていてくれないのっ!」
「いつも自分勝手ばっかりじゃない。なんで、勝手に逝っちゃうのよ。」

悲しみよりも怒りが込みあげてきて、私は、母のからだを力いっぱいに
大きく揺さぶり叫びました。
「もうっ!なんで勝手なの!なんで、自分ひとりで逝っちゃうの!もうっ!」
「起きて!起きて!なんで起きないのっ!私は、まだ話したいこといっぱいあるのに。」
何度も何度も叫び、何度も何度も母のからだを揺さぶりました。
どこにもぶつけることができない怒りで、私のからだは震え、息をすることさえ
苦しくなっていました。

どのくらい時間が経ったでしょうか・・・。
ふと・・・握りしめていた母の手が冷たくなっていることに気づきました。

さっきまで、あんなに温かったのに・・・。
もう・・・目を覚ましてくれない。もう・・・話しかけてくれない・・・。
もう・・・笑顔で私を見つめてくれない・・・。

そして・・・私は、からだ中の力が失われるような悲しみに
沈みこまれていきました。
ぼろぼろと溢れていた大粒の涙は・・・静かに流れ落ちる滴のようになりました。
窓を見上げると、沈みかける夕日が、優しく私を包んでくれました。
幼い頃、泣くじゃくる私を母が抱きしめてくれたように・・・。

母はいつも言っていました。
「あなたに何かあったら、私の命に代えてもらうよう、神様にお願いしているから、
何も心配しなくていい。それだけは、毎日、(亡くなった)おじいさんやおばちゃんにも
お願いしているから。」
母は、その言葉通りに、自分の命に代えて、がんになった私を救ってくれました。

今日、母と父の墓前に語りかけました。
「私は、こんなに元気になったよ。主治医の先生も、とってもいい先生だから。
これからも、元気に生きていくからね。見守っていてね。」

ゼローダの休薬に入って、4日目ですが・・・(通常の休薬1週間+4日目)
掌が赤く腫れてヒリヒリしていたのが、随分、治まりました。
掌の色が、以前のような肌色に近くなっています。
T先生の言われた通り、休薬したら、本当によくなりました。

じっとその掌を見つめていたら・・・なんだか嬉しくて嬉しくて。
私には、まだまだ治る力があるんだ・・・
私は、いつまでもいつまでも・・・自分の掌を見つめながら、泣いてしまいました。
温かい涙 嬉しい涙 感謝への涙 でした。

そして、思いました。
これからも、私が自分らしく元気に生きていくことが父や母への何よりの供養であると。


一途一心

今日は、CT検査でした。
どうも、検査が近づくと、あれこれと良からぬことも考えてしまい、
気持ちが不安定になるようです。
結果は、次回の抗がん剤治療の外来受診時になるので、それまでは、
なんとなく気がかり・・・が続きそうですけど、気持ちを切り替えていかなきゃ。

27日の日曜日には、かつて一緒に学んだ心友仲間4人 Yさん Mさん Tちゃん 
Yちゃん と Yちゃんの愛娘 Tちゃん 4歳 とお伊勢さん参りに行きました。

昨年12月に初めて伊勢神宮に参拝に行きました。
その時は、参拝客も少なく、初冬の静けさの中、粛々と参拝したのを覚えています。

今回は、初夏の日差しの中、参拝客も多く、観光地のような感じでした。
参道の緑は生き生きと輝き、生命力に満ちていました。
私は、12月に参拝してから、少しずつ、副作用も軽減し、2月には腫瘍も
見えなくなりました。
今は、こうして職場にも復帰できるようになりました。
本当に感謝です。

12月の参拝時には、病を除けるために厄除けのお守りを買いましたが、
今回は、開運のお守りを買いました。

新しい人生を元気に切り開くために。

「一途一心」という言葉があります。
一途一心(いちずいっしん)とは「ひたらすら、ひたむき」ということで、
あらゆる道、あらゆる事を成し遂げる上で、欠かすことのできないことだと思います。

この言葉は、天皇陛下の心臓バイパス手術の執刀医として、東大の医療チームより、
その卓越した技術と実績が認められ呼ばれた心臓外科医・天野 篤氏が
いつも胸に刻んでいる言葉。

(以下、NHK番組 仕事の流儀プロフェッショナルより)
天野心臓外科医の年間手術件数は、400件、手術成功率98%、
手術の鬼と評される。

一瞬のミスが、患者の命を奪ってしまう。”手術できないと思うのが、悔しい。
とにかく闘う。”と、いいきる天野。
月曜日の朝に勤務先の病院にむかい、土曜までそこで泊りこみ、家に帰るのは
日曜という生活を、もう30年以上続けている。

天野のもとにやってくる患者は、他の病院で難しいといわれた患者が多くやってくる。
病院のベッドは、常に満床である。手術用の血管は、体内に9本あるという。
それを使って、バイパス手術を行う。天野の手術法の一つに、「オフ・ポンプ」と
いわれる手法がある。
心臓を一旦とめて人工心肺にきりかえることなく手術をするもの。
それによって、患者の負担も少なくする。

しかも天野が使う針は、通常の半分のもの。それを使うと、理想的な縫合ができる。
細やかだけれど、絡みやすく、扱いが難しい。だから、他の医師は、使いたがらない。
天野の手術の時の姿勢はつま先立ち。上半身から余計な力を抜いて、
心臓と自分のリズムを合わせる。

天野の手術成功率98%を支えているのは、緻密な仕事の積み重ねと、患者の
血管に徹底的に向き合う姿勢にある。決して、妥協をしない。
細かな縫合作業も、“何十年持ってくれるように”作っていく。
毎日、病院に泊まり込み、手術する患者のデーターを読みこむ。

考えられることの全てをシュミレーションする。たまたま上手くいくこともある。
しかし、天野は、“上手くいく必然性をつくる”というこだわりをもつ。

以前は、難しいといわれた超高齢の患者の手術の道を、天野はひらいた。
手術に求められるのは”スピード”。患者の体への負担を出来るだけ減らし、
患者の命をのばすだけでなく、生きる喜びを取り戻してあげる。
自分の技術を引き出す。

妥協することは、「命」に妥協することだと、天野は強くいった。

これからも天野は、どこまでも自分に厳しく、決して後悔しないように、
妥協は一切許さない。命をかけてやってくる患者のために、おごることなく、
自らの技術の向上をもとめて、愚直に前に進む。

なんとなく起きて、なんとなく食事をし、なんとなく仕事をして、
ぼんやりと一日が終わる・・・。

なんとなく生きる・・・そこには生きている証はあるのでしょうか。

ぼんやりとではなく、鮮烈に人生を生き抜くには、この瞬間を必死に生きること。
私は、自分に与えられた目の前のやるべきことに、「一途一心」に
取り組んでいこうと思います。

薬箱に中の12クール目の薬もあとわずかになりました。
なんだか ちょっと嬉しいです。

私は、クールの最初に薬を飲むときには、「2週間よろしくね」と言います。
そして、最後の薬を飲む時には、「ありがとうね」と言います。

今夜も 抗がん剤ゼローダ君は、私のからだの中で、がんと闘っている
ありがとうね。
 


12クール目 金環日食

今朝の天空ドラマ 金環日食、みなさんの地域では見ることが
できましたでしょうか。

私は、7時30分頃から、太陽と月が織りなす 神秘的なリング状の太陽の光を
見ることができました。

徐々に三日月から形を変えて、リング状になった時、
黄金の指輪が天空に輝く・・・

かつて左指にしていた結婚指輪を思い出しました。

ひとつの環になる・・・ひとつにつながる・・・絆・・・
そして、この素敵な瞬間をともに過ごす人がいたら・・・と思いました。

その瞬間、マンションの玄関先の階段口のあたりで見ていた私の横を、
お隣のイケメン高校生が通り過ぎ、手をかざして太陽を見上げました。

私は、咄嗟に、彼に「これ使って」と私のグラスを渡しました。
彼は、ぺコンと頭を下げて、そのグラスをかけて太陽を見上げ「おっ!すごいっ!」と
数秒見ていました。
そして、「ありがとうございました」とにっこり笑って、私にグラスを返してくれました。
私は、この金環日食を・・・偶然にも、その瞬間をともにできた人がいてくれたことを、
とても幸せに思うのでした。

そして、こちらこそ 「ありがとう」 そうイケメン君につぶやく私でした。

さて、12クール目を迎えました。
慢性化した手の痺れは、相変わらずで、掌は、つるつる テカテカ ヒリヒリです。
そのため、手に力が入らず、いろいろと不自由さが出てきました。

そして、足裏は、水泡が出来ては潰れるの繰り返し。

T先生にそう伝えると・・・
「ゼローダの副作用だからね。減量すれば良くなるけど・・・
減量するとかなり量が減ってしまうから、それも淋しいし。
休薬期間を2週間にするってこともできるけど。うーん・・・。
次の薬の話は、今までのこともあるから(私が受けたくないと言ってきたこと)
言い出しにくいし。
もし、今回、酷い状態になったら、止めていいから。
今後、どうするかは、29日のCT検査の結果で考えましょう。」とのこと。

酷い状態って? なかなか自分の判断で休薬するのは難しいです。

セカンドラインの治療を拒んでいる私にとっては、
今の治療をできるだけ長く続けたい。
少しでも長く再発転移せずに、元気でいたい。
だから、休薬するということは、再発転移のリスクが大きくなるだけに、踏み切れない。
多少の日常生活の支障は、なんとか乗り越えたい。

検査の日が近づくと、不安になります。
自覚症状は何もなくても、もし再発していたら・・・と気持ちが沈みます。

私は元気です。
けれど・・・仕事で疲れていても、元気に振舞っている自分がいます。
周りの人に心配をかけたくない そう思い、だるいからだを
引きずっている時もあります。

T先生の前でも、にこにこ笑顔。
決して、病気を悲観することなく、自分らしく明るく生きる患者を
演じている時もあります。
セカンドライン治療を拒んでいても、治療を諦めたわけではありません。
自分の生き方を大切に生きたい そのための治療を選びたい
そして T先生を信じているからこそ、明るい自分でいたい。

けれど・・・唯一、私が、がん患者であることを思い知らされる時があります。
それは、抗がん剤治療のため化学療法室に入る時。
化学療法室のドアを開くと、リラクゼーションCDが静かに流れ、壁にある花や風景、
動物などの心癒される写真が私を迎え入れます。

そして、さりげなく並べられた抗がん剤治療のパンフレットや、
がん患者向けの書籍が、否応なく、私の瞳に映ります。

私は、がん なんだ・・・。

小さく呼吸をすると、冷たい空気がからだの中に流れ、心が冷えます。
そして、足が重くなります。からだが固くなります。

溜息交じりに、案内されたリクライニングソファに座ると、看護師さんが言います。
「少し元気がないようですけど・・・どうかされましたか?」
「いいえ。あまり明るく笑ってここへ入るのもどうかと思って。」とおどけます。

点滴をする先生が言います。
「疲れているように見えますが、大丈夫ですか?」
「いいえ。いつも、注射が1回で上手く刺さらず、2回3回と失敗されるので、
心配なだけです。」と少し先生を茶化して、笑って答えます。

私は・・・心のどこかで少し無理をしているのかな。
元気で明るい自分を装っているのか 演じているのか・・・。
正直・・・わからない。

アロマの先生から素敵な言葉を頂きました。
「感謝の種を撒いて 感謝の花をいっぱい咲かせましょう」
私は、感謝の種を撒いて 感謝の花を咲かせて 笑顔の実をいっぱい実らせたい。
そのために、私は、明日も元気で明るく生きていきます。

母の日

今日は、母の日。
日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。

Wikipediaフリー百科事典によると、以下のような説明があります。

アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・
ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり
「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。

ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」
(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を
改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを
得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナは、亡き母親を偲び、
母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。

これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、
1908年5月10日に同教会に生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。
アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。
このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。

1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた。

日本では、1931年(昭和6年)に、大日本連合婦人会を結成したのを機に、
皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたが、
1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永製菓 
母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された後、
1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って、5月の第2日曜日に
行われるようになった。


私も母に、カーネーションを供えました。

今朝、母が亡くなって、初めて母の夢を見ました。
「あ・・・母の夢を見てる」と微睡みながら、時計を見ると5時半でした。
まだ、起きるには早いなぁ・・・と思いながら、ウトウト眠ってしまいました。

母は、いつもよりもきれいにお化粧をしていました。
そして、何か私に語りかけていました。
母は、何を語りかけたのか・・・
5時半に微睡んだ時は、何となく覚えていたのに、目覚めた時は、
思い出せませんでした。

けれど、どことなく険しい顔をしていたことは、覚えています。
母は、何を私に伝えたかったのか・・・。

今日は、2つのお買い物に出かけました。

ひとつ目は、職場の職員さんの結婚式に着るドレスに羽織るショール。
フワフワしたお花のモチーフの素敵なショールを見つけ、ひとめ惚れして買いました。

ふたつ目は・・・
昨年、入院した時に、職場の方から、お見舞いを頂いたのですが・・・
退院後も、抗がん剤治療を受けることになり、職場への復帰も見通しもつかず。
ずっと気にかけていたのですが・・・
快気ともいえず、お返しをするタイミングを無くしてしまっていました。

昨年5月、施設でも最も大切な行事である開設記念祭に、私は、腫瘍の痛みで
参加できず、情けなくて、悲しくて、ベッドの中で、泣いて1日を過ごしました。
でも、今年は、こうして仕事にも復帰し、今月19日に行われる記念祭に
出ることができます。

そこで、大切な記念祭に元気に参加できるようになった今だからこそ、
お返しをしたいと思いました。

頂いた方々のことを思いなから、あれにしようか これにしようか と
ひとつひとつ選びました。

本来、“快気祝い”には、また病気にならないように、残らないものを
お返しするそうです。

でも、私は、職場の皆さんから頂いた励ましや温かい心を忘れたくない。
これからも、頑張っていく私を見ていてほしい。
そう思い、残らないものでなく、身近に置いて使っていただけるものを選びました。
今年の記念祭で、私が無事に務めることができたら、お渡ししようと思います。

今日は、素敵なお買い物ができて、五月晴れの空に心はずむ1日でした。

人生は・・・『撮れなかった写真』

11クール目も、あと2日で終わります。
足裏の水泡がひどなり、足裏全体は、以前から赤く腫れていましたが、
最近は、踵や側面も赤くなってきています。
ヒリヒリ感もあり、少し痛みも出てきましたが、日常的には大丈夫。

皐月、5月に入り、ゴールデンウィークも終わりました。
ゴールデンウィーク中には、交通事故や山での遭難、そして、竜巻・・・
お悔みとお見舞いを申し上げます。

ふっと思い出す言葉があります。
「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人が、
あれほど生きたいと願った明日」

誰にも『明日』という日は、約束されないけれど・・・。
今日、生きたくても生きられなかった人が生きたいと
願った今日を、私はどう過ごすのか。

ある俳優さんが「人生は、美しいアルバムではなく、撮れなかった写真だ」と
言っていました。
とても、印象的な言葉でした。

父や母の遺影のための写真を探した時、弟達が両親と一緒に映っている
写真はあるのに、私と一緒に映った写真はほとんどありませんでした。

「もっと、一緒に写真を撮っておけばよかったなぁ」そう思いました。

けれど、思い出す父や母の顔は、アルバムに納められた写真の顔ではなく、
私の心に映した顔です。

まさに、撮れなかった・・・撮らなかった心の写真です。
アルバムに収める写真はないけれど、私の心に残る両親の生きた姿があります。
だからこそ、すぐそばに父や母がいるかのように感じます。
大切なものは、心の目でしか見えない。
大切なものは、心の中にある。

ふっと・・・母がまだ元気でいた頃のメールを開いてみました。
やり取りを始めた頃のある日のメール・・・

裕子がパソコンを持って来てくれて、使えるようにしてくれて、
教えてもらって、はや2か月・・・
私の楽しみができて)^o^(です。パソコンでメール送ったり、裕子からメールもらうと、
その日の事や出来事をメールで、くれるから、裕子と話、しているみたいで、
ほんと、とってもたのしい(^o^)丿 

裕子が私の側にいるみたい。今日は何から話そうか・・・
なんて思って裕子からメールきてるかなあ・・・とパソコンに向かうとき、
まさにひろこがって来るのを待つてる時の気持ちといっしょ 。・・・・・・

私もコスモスの花は好きな花の1つです華やかさや、はでさは無いけれど、
何かそそとした感じでいいですね 
スズランの花も好き・・・小さくて可愛いい どちらかと、言うとバラとか 
ゆり、ひまわり等大きな花より小花のほうが好き・・・

来年裕子の家の庭にコスモスの花がいっぱい咲くの楽しみに、しています。
私がメール待っているからと、言ってもしょっ中でなくていいですよ。
たまにで・・・ね おやすみ(-_-;)

母がパソコンに向かって、一生懸命、キーを打っている姿を思い出します。
13日の日曜日は・・・母の日です。

昨年の母の日・・・
母は、GW明けに急変し、意識レベルが下がり、ほとんど眠った状態が
続いていました。
両手足に点滴がつながれ、酸素マスクをして・・・。
私は、母の日に、早く、元気になるようにと・・・
黄色いお花のフリザードフラワーを持っていきました。
(病院には、生花の持ち込みは禁止されていましたので)

私は、昨年の5月の上旬に、婦人科クリニックで卵巣腫瘍の診断を受けました。
そして・・・悪性腫瘍の可能性が高いので、すぐに大きな病院へ行って
検査を受けた方がいい。そう言われていました。

ベッドに横たわる意識のない母の手を握り、私は言いました。

「ねぇ・・・私、あまりよくない病気みたい。でもね・・・ママ・・・
ひとりで乗り越えられないことも、ママとふたりだったら、乗り越えられる。
ママ・・・一緒に元気になろうね。ふたりで一緒に頑張って元気になろうね。」

ふたりで一緒に頑張っていきたかった・・・。

私の心の中には、父や母がいつも一緒にいる。そして、いつも支えてくれています。
だから、今年も、母の日には、お花を買い、母に捧げます。

そして、私は・・・父や母が生きたいと願った明日を、
懸命に生きていこうと思います。

お花見 心の名所

ゼローダの副作用の手足症候による皮膚の荒れがひどくなってきました。
手は、まだあまり荒れることはないのですが、足裏に水泡ができて、痛みます。
水泡は、最初は白く小さいのですが、徐々に黄色く大きくなり、
痛みを伴います。

ペンギンのように歩いています。(笑)

満開だった桜は、その花びらが舞い散り、桜色の絨毯が敷きつめています。

9日は、施設でのお花見会。

春の日差しが優しく暖かくて、お花見日和。
施設内の桜の木の下で、やきそばや串焼き、田楽、おにぎりなどの
野外食を利用者の皆さんに楽しんで頂きながら、♪さくら♪さくら 春の小川 
などを歌い、桜を愛でて頂きました。

日頃は、あまり食欲のない方にも、「桜もきれい。おなかもいっぱい。楽しかったわ。」
と喜んでいただけました。

日本の四季は、本当に美しいです。

季節の趣を、こうして愛でて頂きながら、利用者の方々の笑顔に、私も笑顔満開。

「サクラ」の名称の由来は、一説に「咲く」に複数を意味する「ら」を
加えたものとされています。

桜と言ってもその種類、600種類くらいあるそうです。八重桜、染井吉野、山桜、
しだれ桜あたりは、知ってはいましたが、なかなか奥の深い華なのですね。

桜の花言葉は「心の美しさ」「精神の美」「優美な女性」だそうですが、
桜の種類によって花言葉も異なり、八重桜には「豊かな教養・善良な教育・しとやか・
理知に富んだ教育」、山桜は”あなたに微笑む”。
ソメイヨシノには「高貴、清純、精神愛・優れた美人」、
しだれ桜には「優美・ごまかし」、ヤマザクラには「純潔・高尚・淡白・美麗」と
いう花言葉がついているそうです。

ちなみに、国花は、ヤマザクラです。

桜というと思い出すのが、まずは、百人一首でお馴染みの紀友則
”ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ”。

そして、小野小町の
”花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に”
でしょうか。

何となく、桜の美しさとそのはかなさとか、切ない気がしてしまいます。

前者は、”こんなにうららかな春の日に、どうして心慌ただしく桜の花は
散ってしまうのか。静める心はないのか”

後者は、“桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が
降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに
思い悩んでいるうちに“

このふたつの歌から思うことは・・・
思い悩んだり、行き急ぐことなく・・・
直向きに生きていけば・・・自ずと良き道に導かれていく
そんな気がします。

そして、先週中、思い出の桜を見に出かけました。
思い出の桜は、2か所あります。

ひとつめは、学生の頃まで住んでいた実家の近く。
でも、住んでいた頃の思い出はあまりなく、両親の看護介護のために、
実家へ帰ることが多くなってから、この桜並木を通ると、父や母にこの桜を見せて
あげたい、一緒に歩きたい、そして、幼かった頃の思い出を話したい・・・
といつも思うようになりました。
でも・・・その願いは叶うことなく・・・。

今年も、この桜並木は、優しく私を迎えてくれました。sakura5.jpg

両親の写真を胸に抱きながら、青く澄んだ空に揺れるように咲いた桜の下を
ゆっくりと歩きました。
春の陽だまりに包まれながら・・・空を見上げ、「また来年も、一緒に見ようね」

ふたつめは、母との最期の散歩道の桜。
あの時、母の顔に寄せた枝の桜は、今年も美しく咲いていました。
「お帰り」と母の声が聞こえたような気がしました。sakura1.jpg


桜の名所は、数多くあります。

けれど・・・私の心の名所は、父と母の思い出のこの場所。
私の心に咲く桜は、色あせることはない。

桜の季節 心機一転

今週末は桜のお花見日和ですね。

昨年、母と最期の散歩に出かけた時、病院の近くの桜の木の下で、
母に言いました。
「きれいな桜だねぇ。ほら、これ」と枝垂れた枝に満開の桜の花を、
車いすに座っていた母の顔近くに寄せました。

花は、その桜をじっと見つけたまま、少しうつろな瞳で私の顔を
見上げ言いました。「はよ 帰ろうぉ」

認知症がかなり進んでしまっていた母には・・・桜の美しさも
わからなくなってしまったの?
そう、私は心の中で呟きながら、「もう少しだけ、一緒に見ていようよ」と
答えました。

母は黙ったまま、桜の花を見つめていました。

来年もこうして一緒に桜を見ることができるだろうか・・・
そして、その時、母な桜をきれいだと思ってくれるだろうか・・・

そう思いながら、母とふたりで、桜を見上げていました。
その母の瞳に映った桜を、私は、今もはっきり覚えています。
そして・・・少し肌寒い春風に、桜の花びらが散り、とても切なかった・・・

明日、父と母の写真を持って、あの桜を見に行こうと思っています。
そして、伝えようと思います。
「私は、こうして元気だよ。来年も必ず、この桜を見に来るからね。」

さて、今月から職場に復帰しました。
3~4日/週ほどですが、教育研修担当という立場で仕事をします。
2日の夜には、新人職員や移動により配属になられた方、3月で退職された方の
歓送迎会がありました。

私も心機一転、あらためて幹部の方や上司の方々に挨拶をしました。
最後に、私は直属の上司であるY専門員さんのところに行き、挨拶をしました。
「あらためてよろしくお願いします。完治には至らないので、また、ご迷惑を
おかけすることもありますが、元気でいられる限りは、一生懸命頑張ります。
こうして、戻ることができたのも、いつも温かく励まして頂いたからです。」

昨年、突然、がんの告知を受け、掲げていた自分の目標を何一つ
成し遂げることができなくなりました。

何もかも失ったような気がして・・・。
自分の居場所すら無くしたような絶望感に打ちひしがれて・・・。

心が折れそうになった時に、Y専門員さんは、言って下さいました。
「さくらのようにさんの席はずっとこのままだから。いつでも戻ってきていいのよ。」
「さくらのようにさんの居場所は、ここにちゃんとあるから。私が守っておくから安心して。」と。

そう言って下さった時のことを思い出し、涙ぐんでしまった私をY専門員さんは、
優しく抱きしめて下さり
「もう泣かないの。こうして戻ってきたんだから。」
「さくらのようにさんは、必要な人なんだからね。」と言って下さいました。

とても嬉しい言葉でした。
こんな私でも必要とされる場があった。
そして、その場所に戻ってくることができた・・・。

だからこそ思います。
もう、できないことにくよくよしたり、悶々としたりしない。立ち止まらない。
今、できること たとえ、それが小さな細やかなことであっても、
志を高く持って進み続ける。

小さな積み重ねが、やり遂げる道につながるのだから。

これからも、一喜一憂しながらも、泣きたい時は思いっきり泣いて。
泣き腫らした顔には、お化粧水たっぷりのコットンで パタパタ パティング。
そして、鏡に向かって 笑顔 笑顔 笑顔。

がん患者である方から頂いたメールの言葉。
「がん患者は幸せです。ゆったりその日まで無駄な時間なく、
やりたいこと やり遂げる努力が出来ます。」

神様に与えて頂いているその日までの時間・・・私は、やり遂げ続けます。

励ましの言葉

友人から時々、私達はあなたに何をしてあげたらいいの?
どんな言葉をかけてあげたらいいの?と
尋ねられることがあります。

私は答えます。
「いつもと同じでいいの。今までと何ら変わらなくっていいの。」

私は少なくとも、がんである私の気持ちを『理解してもらいたい、わかってもらいたい』
とは思うことはあまりありません。

ホントは・・・励ましも・・・辛い時があります。

「頑張って」と言われても、もう、これ以上、どう頑張ったらいいの?と
聞き返したくなってしまいます。
元気に見えても 笑っていても 心は泣いていることがあるんです。

だからこそ、周りの人には、いつもと同じようにいてほしいと願うのです。

他愛のない会話で「あーでもない こーでもない」と早く切り上げたいのに
長話したりして
言いたいことだけ言って「で、結局、どうなのよ? どうするの?」と
振るだけ振ったりして
こっちは指導で叱っているのに「僕にはわかりませんっ!」とわからないことを
自負したりして
行き場のない怒りに爆発して「蹴ってやるわ~!」と机を蹴ったり叩いたりして
八つ当たりしたりして
相談したいと言いながら、人のアドバイスには「でもね でもね」と
結局、自分の考えを押し通したりして
アドバイスや指導を聞いているかと思ったら「で、何をやりゃいいんです?」と
開き直ったりして
スベッたお笑いで苦笑いして よくわからないけどなんだか
可笑しくて大笑いして
信じがたい噂話に「うそぉ~マジ?それってヤバくない?」と否定しながらも
興味津々になったりして
好きなアーティストや俳優の話に「やっぱりイケメンがいいわ」と女子会ごとく
盛り上がったりして
仕事の話はそっちのけで、プライベートの話には「それ、いいわ~」と笑顔で
意気揚々としたりして
美味しいグルメ話に「あれも食べたい。これも食べたい。」のニコニコ顔に
「だから、痩せないんだってばっ!」と突っ込んだりして
散々愚痴って、最後は、「まぁ~しようがないわ~」とため息ついたりして
よくわからないのに「そうだ。そうよ。」とその場限りの
わかったふりなどしたりして
なんだかんだと言いながら「まっ、それでいいんじゃない」と勝手に
締めくったりして
「でさ、さっきの話って、結局は何だったの?」「さぁ?何だったんだろうね?
俺もわからん。」と当事者なのに他人事にしたりして
「みんな同じよ~。誰にでも、こういうことってあるって。」と当たり障りのない
励ましをしたりして
TVドラマのストーリー展開に「そうじゃない。こーなる。あーなる」と
むきになって言い争ったりして
「相談に乗るわ」と言いながら、いつの間にか・・・こっちが聞き役の
自分の自慢話になったりして
しんみりした話になったかなと思いきや、お互いに全く別のこと
考えてボーっとしたりして

そんな普通のよくある他愛のない話でいいんです。

私は、そんな会話の中で、「何も変わらない。いつもと同じ。こうして生きている」と
思うのです。

ひとりでいれば・・・否応なく、がんのことを考えてしまいます。

自分が、がんであることを忘れた普通の時間がほしいのです。

そして時には・・・何も言わずにそばにいてくれるだけでいいんです。
一緒にTVやDVDを観て、同じシーンで笑って泣いて叫んでくれたら・・・
一緒にお買い物に行ったり、一緒に美味しいものを食べてもらえたら・・・
それだけでいいのです。そこに言葉はいらない。

とはいえ・・・私もどうしようもない不安や恐れに苛まれることが
よくあります。
愚痴も言います。泣き言も言います。八つ当たりもします。

その時は、黙って聴いてもらえれば・・・それだけでいいんです。
そして、そっと肩を抱いて、背中を摩って、抱きしめてもらえれば・・・
幸せです。

私の弟達は、一緒にご飯を食べに行っても、治療のことも病気のことも
ほとんど話題にしません。
いつもと変わらず、世間話をして、笑っています。

仕事でのお付き合いの食事が多く、ポッコリ出ていたお腹が、健康飲料のお茶を
飲み続けたら、へっこんだと、お腹を出して見せて(自分でお腹をへっこませながら)
「どうよ?これじゃまだいかんか?」と言ったあとに、息を吐き切り、
ポッコリお腹が復元!笑いを誘う。

ただ、食事の時も歩く時も何かをする時は、必ず、私のからだを気遣い、
手を差し伸べてくれます。
さりげなく、ゆっくり歩いてくれたり、荷物を持ってくれたり。

食事の後に「結構、食べれたな。よかったな。」とポツリと言ったり。
食べる前に「元気になるために、しっかり食べろよ。」とは一度も
言われたことはありません。
しっかり食べられない私には、食べないと病気が悪くなるというのは
“脅し”のようなものです。

そのかわりに、「好きなものを、食べられるだけ食べればいいんだって。
おっ! 美味しそうなのは、やっぱり一番高いわ。ハハハ。お姉ちゃん、
遠慮せんでええわ。今日はコイツのおごりだから。なっ?」(長男)
「おぉ~任せとけ。オレは、小銭は持っとるから。アハハ」(次男)
茶化しているような会話ですが、私には心がなごみます。

私からは、1クールに1回ほど、副作用の状態や先生との話の内容などを
メールしています。
やはり、何かあった時に、状態がわからなければ、弟達も困るでしょうから。

抗がん剤の副作用がひどくて、泣き言をメールした時の弟(長男)の返信

辛いでしょうが前向きに考えて欲しいです。頑張ってという言葉は使うまいと
思っていましたが、それ以外の言葉が思いつきませんね。
やはり、やると決めたんですから、やれるところまでやってみましょうね。

お姉ちゃんは自分だけのために頑張るのではなく、私や○○(次男)、
○○(姪っ子)や、おじさん、おばさんやお姉ちゃんの同僚や知り合いのために
頑張るんだと思ってください。

お姉ちゃんは昔から頼られると断れず、頑張って期待に応えてくれました。

お姉ちゃんは辛いでしょうが、周りのみんなは、お姉ちゃんに少しでも
元気で長生きしてもらいたいのです。勝手言ってごめんね。
でも、私の正直な気持ちは、どんな形でもいいのでお姉ちゃんに少しでも
長く居てもらいたいんです。兄弟だから。

涙が止まらなかったメールです。
私のことをわかっていてくれる“兄弟だから”こその「頑張って」でした。

あの日から1年

あの日から1年が経ちました。

未曽有の東日本大震災・・・
一瞬にして多くの尊い命が失われたあの日・・・
そして、多くの方が 大切なものを かけがえのない思い出を
愛する人を 失ったあの日。

私も 午後2時46分 黙祷を捧げました。

今も被災地は・・・鎮魂の祈りに包まれています。

助かるための被災場所にさえ、容赦なく津波は襲いかかった。
ここなら大丈夫と逃げ込んだ避難場所で、命を失うことになるなんて・・・。
何のために逃げ込んだのか・・・

自ら命を絶った酪農家の方・・・原発により酪農を
続けることができなくなった。
「残った酪農家の方、頑張ってほしい」と壁に書かれた最後の言葉。
まさに、原発の悲劇。

そして、自衛隊は、救命のための物資さえも流され、
何もできないまま立ち尽くす。

TVで放映された自衛隊幹部の方の言葉。
「瓦礫は捨てろ。砂は捨てろ。そして、思い出は掘り起こし、きれいにせよ。」

小学校の瓦礫の埋もれた写真や教材を掘り起し、砂を丁寧に拭い取る自衛官。
目には涙。この自衛官も愛おしい子供を失った被災者であるのかもしれない。

悲しみよりも、悔しさ、やりきれない思い・・・
未だ解体作業もままならない被災地。瓦礫処理も一向に進まない。
生計の目途さえ立たない被災者の方も多いという。

同情や共感ではなく・・・
「被災された方々のために、私に何かできることはないか」

そう思うことが何度かありました。
わずかながらの義援金も何度か送りました。
スーパーやコンビニのお釣りは、いつも義援金箱へ。

ボランティア活動をしている友人からの誘いもありました。
でも、治療を受けている自分のからだにも不安がありました。

本当に、私ができること 私がしなければいけないことは何か?

そう考えた時、まず、自分が、後悔しない選択をして生きていくこと。
こうして、生きていることに感謝して、生きることを全うすることが
、今、私にできること。

ただ生きていくのではなく 本気で生きていく。
後悔しないで生きていく。

誰かのせいにしたり 何かのせいにしたりして生きていくのではなく
自分で自分の生き方を全うするように 生きていく。

だからこそ 「そのために 今日できることは何か?」
そんな問いを自分に投げかけ、その答えを見つける毎日です。

長淵剛さんの 「愛おしき死者たちよ」 心に響きます。

決して絶望をなげくんじゃなくて 
深くみつめてゆくものだ
悲しみを 抱きしめる覚悟があるから 
俺たちは生きてゆけるのさ
決して 希望などたやすく信じるな 
生きてゆくのがみっともなくなる 
苦しみを抱きしめる覚悟があるから 
俺たちは涙を流して立ち上がる 

甦れ 愛おしき死者たちよ 100年かけてもねむるんじゃないぞ 
無言の痛みと無念の怒りたちで 
貧弱な俺たちの胸を 叩き続けてくれ

 あぁ そして俺たちは またこぐ船 あの海に立ち向かい 船をこぐ 

床に はいつくばり唇を噛んだら 
命の行き場を探すものだ
悔しさを 抱きしめる覚悟があるから 
俺たちは 優しくなれるのさ
ただいたずらに ひけらかすな 
優しさを なおさら無力に思えるから
何もかも抱きしめる覚悟があるから
俺たちは 生きてゆけるのさ

甦れ 愛おしき死者たちよ 100年かけてもねむるんじゃないぞ 
無言の痛みと無念の怒りたちで 
貧弱な俺たちの胸を 叩き続けてくれ
 
あぁ そして俺たちは またこぐ船 あの海に立ち向かい 船をこぐ 

震災の悲しみを抱きながら・・・
明日への決意を新たに抱いて生きておられる被災者の方々。

私自身も、明日への決意 そして 覚悟を抱いて生きていきたい。

明日から9クール目
エルプラットの蓄積毒性による慢性症状が出始めました。

100mg/回 8クールで 蓄積量800mg エビデンスでは、
蓄積量700~800mg/m2を超えると慢性の末梢神経症状の発現リスクが
高まり、使用中止となることが多いとか・・・まさに、エビデンス通り。

両手の指先が、寒冷に関わらず、常時、痺れて感覚に違和感があります。
エルプラットの休薬について、T先生に相談しようと思います。

効果が出てよくなったからの休薬ではなく、からだへのダメージが強くなり、
使えなくなったからの休薬・・・複雑な気持ちです。

きぼうの唄

昨日、3月6日は、啓蟄でしたね。

啓蟄とは、春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が
外に這い出てくる日のことです。
啓蟄を迎えるころから、一雨降るごとに気温があがってゆき、
春に近づいていきます。
日差しも徐々に暖かくなってきます。 梅も開花します。

そして、あと、1ヶ月もすれば・・・私の大好きな桜の季節です。
今、私の部屋のテーブルには、鉢植えの旭山桜が咲いています。
sakura.jpg
旭山桜は、八重咲きの桜で『ソメイヨシノ』より1週間ほど後に咲く品種で、
大変育てやすく、毎年綺麗に咲いてくれるそうです。

来年も、綺麗に咲いてくれるように、大事に育てていきたいと思っています。

『きぼうの唄』 詩:伊藤一樹 曲:石若雅弥

きっと だいじょうぶ
ずっと 越えてきた
悲しみを越え 今を重ね
あなたとわたしをつなぐ きぼうの唄

もし きみが悲しいときは
共にうたうよ
未来に希望があると信じて
共に笑い 共に泣き
あなたの心に より添って

泣きたいときは 泣いてもいい
がんばりすぎず あきらめず
あなたのまま それがいい

きっと だいじょうぶ
きっと 越えられる
ひとりじゃないから
みんな みんな つながっている きぼうの唄

もし あなたが夢を持てたら
共にうたうよ
街の明かりが消えたとき
見えなかった 満点の星空
あの星のように 輝ける

暗闇のなか 光る星空
大地には絶えず うまれる緑
いつまでも つながってゆく

きっと だいじょうぶ
きっと 越えられる
すべてを受けとめて
それぞれの場所でまた 歩きだそう

きっと だいじょうぶ
ずっと 越えてきた
悲しみを越え 今を重ね
あなたとわたしをつなぐ きぼうの唄

これは、3/10・11日の2日間、神戸で開催される『PRAY FROM KOBE 
3.11 復興支援コンサート』(震災から17年を迎えた神戸から、東北へ音楽を
通してエールを送ることを目的した合唱コンサート)の合唱曲だそうです。

楽曲そのものは聴いたことはないのですが、心に響く素敵な詩です。

4月から、職場に復帰します。
とはいっても、治療を受けながらの復帰なので、通常の勤務形態ではなく、
治療スケジュールを調整しての勤務です。

投薬後の1週間はやはり副作用のため、勤務できないので、12日/月くらいの勤務に
なると思いますが、できる限り、『勤めて』『務めて』『努めて』いきたいと思います。

定期検査

明日から8クール目

今日は、3か月毎の定期検査で、造影剤CTとMRIを受けました。
検査結果は、明日の外来診療で先生から聞くことになります。

検査の日が近づくと・・・やはり不安になります。
こんなに元気なんだから大丈夫!と思う反面、
もし再発転移していたら・・・と思ってしまいます。

もし再発転移してしまったら・・・
セカンドラインの治療の選択肢はどのくらいあるの?
その副作用は?今のQOLはどうなる?
そして・・・予後は?
あとどのくらい元気でいられるの?

考えれば考えるほど、良からぬことを考えてしまいます。
とはいえ・・・もしものために、心の準備は
しておかなければと思うのです。

この不安と恐れからは、一生逃れられない。

元気に振る舞い過ごしていても、「あとどのくらい元気でいられるのかな」と
思う日々です。

施設長のご主人もがんでお亡くなりになりました。
体調が悪く受診されたそうですが、3つの目の病院でやっと肺にがんが
見つかりましたが、すでに手遅れと告知されたそうです。
(ちなみに、その3つ目の病院とは、偶然にも、私が治療を受けている公立病院)

それでも、2ヶ月の余命宣告から、治療をされながら2年間を過ごされました。
お仕事にも復帰をされていたそうです。

また、私が病院まで乗ったタクシーの運転手さんは、胃がんで胃を全摘出され、
その後も肺や肝臓に転移し、何度も手術をされたそうです。
「私のからだは手術傷だらけだよ」と笑っておっしゃいました。

抗がん剤治療もいろいろ受け、食事療法やサプリメントを飲みながら、10年。
今は、こうしてタクシーの運転手をして社会復帰していると話してくださいました。

再発転移しても・・・余命宣告されても・・・
生きる術はあるもの。
決してあきらめない。

明日から8クール目。
気合を入れて、1週間寝込みます。

寝込み明けからは、3月からの新人研修の準備を始めたいと思っています。
職員の人材育成については、試してみたいことがいろいろとあります。
その企画を考えると、ワクワクしてきます。
お仕事復帰も現実的に考えています。

今年も桜が咲く春が待ち遠しいです。

病気になっても病人にはならない

10日目ですが、体調は、ほとんど回復しています。
常温水も普通に飲めるようになり、ほっとしています。
ただ、冷えきったものを飲んだり食べたりすると、舌の感覚異常や
味覚異常が起こります。
寒冷による手足の痺れも、まだ残っていますので、手袋や靴下は2重にして、
カイロは手放せません。

さて、人間の体では毎日3000個のがん細胞が発生しているそうです。
しかし、からだには50億個のがん細胞をやっつけるキラー細胞がいるので、
人はがんにならずにすんでいるのです。

しかし、何等かの原因でキラー細胞が少なくなったり、元気がなくなると、
免疫力が低下して、その隙にがん細胞が増殖しあばれだします。

キラー細胞が減るのは、放射線をあびたり、強い抗がん剤を服用したり
免疫抑制剤を服用した時です。

そして、勢いが弱るのは精神的なショックを受けた時だそうです。
そのショックからすぐ立ち直れればいいのですが、長く続くとキラー細胞の活力が
落ちてがんがでてくる危険性が高まります。

キラー細胞は、脳下垂体や自律神経中枢から放出されるホルモンや、
神経伝達物質を受け取るレセプターを持っていることが最近わかったそうです。

たとえば、私たちが笑えば、脳から愉快情報を伝える物質が出て
キラー細胞に伝えます。
憂鬱になれば憂鬱物質が脳から出て瞬時に全身のキラー細胞に伝わります。
ですから、脳からの情報によって、キラー細胞は強くなったり
弱くなったりしているのです。

つまり、心の持ちようなのです。

このキラー細胞を強くする方法がいろいろと研究されていますが、
その一つが笑顔の効果です。
いわゆる「にこにこ療法」です。

ちまみに、作り笑いでも本当に笑ったのでも、キラー細胞の活性化には、
同じ効果があることが最近実証されているそうで。

「辛い時こそ、笑いなさい。」
「作り笑いでいいから笑いなさい。
 笑っていれば、何とかなると思えるようになります。」

何かの本を読んだ時に、心に残った言葉です。

私は・・・毎日を楽しんでいます。
職場に行っても、みんなから「本当に元気だね~(笑)」と言われます。

私が元気でいるから、みんなもいつもと同じように話しかけてくれます。
もし、私が治療の苦しさや辛さばかりを話したり、元気のない姿であれば
きっと、みんなは私にどう声をかけたらいいのか悩み、辛くなるでしょう。
そして、そんなみんなを見ることは、私にとっては、とても辛いことです。

私は、私が元気でいることで、私を支えて下さるみんなが笑顔で
いてほしいと思います。
それが、私の笑顔につながります。私の元気につながります。

時々、思い出す父の言葉があります。
幼い頃・・・たぶん、小学生の頃だったと思います。
しょんぼりしてうつむきながら、父と一緒に歩いていた時に
「下を向いていても何もいいものは落ちとらんぞ。前を向いて歩かないかん。」

私は 『病気になっても病人にはならない。』

I WISH FOR YOU 

今年も今日で終わります。

幸せを頂いたみなさんへ 私からも みなさんへ
I WISH FOR YOU 

心からの励ましや支え、本当にありがとうございました。
ふっと・・・がんとともに生きることになったことも、
私の運命なんだなって思います。

運命とは何なんだろう・・・
定められたもの?逃れられないもの?
ならば・・・その道を生きていくしかない。
けれど、運命だからこそ、私だけに与えられたかけがえのないもの。
私だけの道。私が私らしく生きるための道。

『人生に確かなことなんてない。それだけが確かなことなんだ』
『運命とは、最もふさわしい場所へと、あなたの魂を運ぶのだ。 シェイクスピア』

Lady Gaga の ♪Born This Way♪ には、こんな歌詞があります。

私は正しい道を歩んでいるわ
私はこうなる運命のもとに生まれてきたの
後悔して自分の殻に閉じこもってないで
ただ自分を愛してあげて それがスタート地点

私は正しい道を歩んでいるわ
私はこうなる運命のもとに生まれてきたの
他の道なんてないのよ
生き抜くために生まれてきたの
勇敢に生きるために生まれてきたの

がんになってしまったけれど、私はがんになったからこそ、
手にすることができたかけがえのないものがあります。

がんになったのなら・・・がんになったことを活かしていこう。

皆さま どうぞ 健やかにお年をお迎えください。

可能性にかける

昨日は、雪が舞ったホワイトクリスマス。
この週末は、フィギュアスケート全日本選手権に釘付けでした。

昨夜の真央ちゃんのフリースケーティングの最後・・・
天を見上げてゆっくり瞳を閉じたその表情に、涙がこぼれました。
どんなに辛かったことか・・・悲しかったことか・・・
私も今年、母を看取ったばかりなので、自分のことのように思いました。

人が何かを乗り越えていく姿は、周りの人の勇気と優しさを
与えるのですね。
真央ちゃん ありがとう。

12/23の男子ショートプログラムでは、高橋大輔選手が、4回転‐3回転の
高難度コンビネーションを決め、自己最高得点となる96・05点で
断トツ首位発進を決めましたね!

私は、彼の大ファンで、彼の演技には魅了されます。

彼の演技には、静と動 キレとしなやかさ 強さと優しさ
何といっても華麗さがあります。
そして、表現力には、彼の世界観があり、この世界観が観ている人を
惹き込むのでしょう。

今回の4回転-3回転のコンビネーションは、素晴らしいとしか
表現できないことがもどかしいです。
ジャンプの高さもかなりあり、しかも、コンビネーション!

無事、着氷した4回転ジャンプを見たのはずいぶんと久しぶりだっただけに、
テレビ画面の前で私も思わず、「やったぁ!」と拍手喝采していました!
本当に・・・興奮しました。

この日は当初、世界選手権切符を優先させた安全策で、4回転を
回避する予定だったそうです。
しかし、彼は「やっぱり攻めた方がいいかなと思った」
そして、「失敗してもいいと思った。緊張感の中でやることが今後につながる」と。

果敢に“攻める”演技を魅せつけられると、素晴らしい、ステキ、カッコいいという
エンターテイメントでなく、彼もアスリートであり、やはりフィギュアスケートと
いうものは、紛れもなくスポーツであることを、改めて思います。

“果敢に攻める”演技は、試合であり、やはり見ている側はドキドキ興奮します。

そして、24日のフリー。
彼は、冒頭の4回転トゥループで転倒、後半のジャンプでもミスが重なり
フリー3位となりましたが、合計スコアで他を上回り、2年ぶりの優勝を飾りました。

高橋選手のコメント。
「失敗しました(苦笑)。逃げ切った形で終わってしまいました。
ただ、守った中での失敗ではなくて、4回転も回っての転倒だった。
ショートプログラムは成長したと思う。
攻めた結果の失敗だったので、次につながると思います。」

今季の試合に向けての彼へのインタビュー記事
(日本経済新聞HP 12/12)がありました。
その中で彼はこんなふうにコメントしています。(記事抜粋)

今季は成長できる――
そんな手応えというか、自分に可能性を感じています。スケーティングを見直して、
フィギュア選手がよく口にする「伸びる」というか「滑る」っていう感覚が
よみがえってきました。
言うならば「抜け感」があるんです。

言葉で説明しにくいんですが、今まで体の中心にギュっと固まっていたものが
スッと抜けて、リラックスしている。でも、中心に一つ芯は通っているという感覚です。

スケーティングにストレスがなくなったから、ジャンプやスピンに
集中できています。滑り出すと気持ちいいから、練習のリズムも
いいんですよ。

(14年の)ソチ五輪まではやる。それ以降はもう選手はしない。
選手としての最後の目標がはっきり見えたから、心の底から、
すべてのことをきっちりやりたいって思えています。

彼は、靴のメーカーも替え(スケート靴は1足15万円)、8月にはフランスへ
2週間出かけてアイスダンスのコーチの下でスケーティングの見直しも行い、
9月からはバレエも始めたそうです。

ソチ五輪へ向かうなら何にでも挑戦しようという気迫を感じます。

彼は、選手としてだけでなく、ひとりの人間としても、いろいろな試練を
乗り越え成長している。

「何事にも、必ずしも成功は無くても、そこには必ず成長がある」ものです。

ケガをして引退も囁かれた時期もありましたが、彼は「自分の可能性に
もう一度かけてみたいと思った」と語っていました。

自分の可能性を信じて、進む者だけが手に入れることのできるものを
彼はつかんだのでしょう。

守りに入らずチャレンジし続ける彼が、今の日本にとっても、私にとっても、
力強い存在であり元気にしてくれます。

そして、小塚選手も羽生選手も、フリーでは4回転を決めました。
ハイレベルな試合の中で、攻める勇気を持つことは、
自分を乗り越えるために必要なことだと感じました。

私にとっての「攻める勇気」ってなんだろう・・・。
そう、ふと思いました。

その答えは・・・
やはり『がんサバイバー』として、がんと向き合い、自らの意思で
がんとともに生きていくこと。

正直に言えば・・・今は、抗がん剤の副作用以外は、がんの痛みも症状もないので、
こうして前向きに考えることができているのかとも思います。

これからもし、再発転移など状態が悪化した時に、本当に今のように
前向きに考えて生きていけるかどうか・・・

そう思うからこそ、私は今、自分の生きる目的をしっかりつかんで
おきたいと思います。

どんな時も、その目的を見失わないように。

今年もあとわずか・・・

5クール目 7日目
まだ薬が抜け切らず・・・という感じです。

今回も味覚異常は、それほどでもなく、食事もそれなりに
食べることができています。
ただ、頭痛が続いていることと、からだがだるくてフラフラで、
眠ってばかりです。
まるで はちみつ紅茶ばかり飲んでいる 冬眠中のくま!の私です。(笑)

また、午後になるにつれて、吐き気が増してきます。
そして、昨日は夕食後、吐き気がアップして、初めて多量に
嘔吐してしまいました。
が、吐き切ったら、すっきりしましたけど・・・。

昨年に続き、今年は母が亡くなったので、喪中はがきを新年のご挨拶に
代えさせて頂きました。

そのお返事に、母へのお供え物を送って下さったKさん、
クリスマスカードを送って下さったMさん、
メッセージ絵本を送って下さったKさん、
本当にありがとうございました。

一緒に食事をしたり、お仕事をしたり、語らいあったあの頃の
あなたの笑顔を、声を思い出しています。
つい昨日のことのような・・・懐かしいような・・・。

みなさんの心温かい笑顔が私を支えています。
もう何年もお会いしていないのに、こうして励まして下さるおかげで、
私は今日も前を向いていくことができます。

心から感謝しています。
そして、私は、今日もみなさんから頂いた幸せを感じています。

今年もあと2週間になりました。
今年は、未曾有の震災というとても辛く悲しい出来事がありました。
震災にあわれた方々の多くは、大切なものや大切な家族を
一瞬にして失われました。

あれから9か月・・・
TVの映像では、みなさんの笑顔が少しずつ、戻ってきています。
きっと隠し切れない悲しみを抱えながらも、ひたむきに
今を生きるていらっしゃることでしょう。
自分にできることを ひとつひとつ積み上げながら 
明日を信じて生きていらっしゃる姿に、私も勇気づけられます。

悲しみを癒すことができるのは・・・
やはり誰でもなく、自分自身です。

自分自身が今の自分を受けとめる勇気を持つことで、悲しみが
癒されていくような気がしています。
たとえ時間がかかっても、いつか自分自身をしっかり受けとめられる
自分になりたいと思います。

毎年この時期になると、今年1年を振り返りながら・・・
忙しいながらも、こんなことができた あんなこともやり遂げられた 
これにも手がけられた
来年は・・・もっと頑張って、これをしよう やり遂げよう
あれもやってみたい 
そう振り返りながら、来年の抱負を掲げていました。

でも、今年は・・・この1年を振り返る気持ちにはなれなくて。
振り返ることが 怖くて 切なくて 寂しくて。

一生懸命に、前を向いて生きていく志を胸に抱きながらも、
背中には言いようのない不安と恐怖を背負っています。

・・・いつまで元気でいられるのだろう 
・・・いつか再発転移してしまうのだろうか
・・・やってみたいことはできるのだろうか 
・・・やり遂げたいことは遂げられるのだろうか

時に、背負うものが重たくて、後ろに倒れ込みそうになります。
前に進む足がすくんで、しゃがみこんでしまうこともあります。
立ち止まると、もう踏み出す力が無くなってしまいそうで、
うつむいたまま足を引きずることもあります。
それでも、胸に抱くものと背中に背負うものに揺れ動きながら、
一歩一歩進んでいます。

今年という1年を振り返ることはできなくても 私はこの1年を忘れることはない。
忘れることはできない。いいえ・・・忘れてはいけない。

私にとっては、厳しいながらも自分らしく生きる新しい人生が始まったのだから。

今年の元旦の朝は、大みそかの夜から降り始めた雪で、
真っ白な雪化粧でした。

その雪景色を見ながら・・・
何もかも真っ白になって、新しい1年が始まるんだなぁ。
そう思ったことをよく覚えています。

自分の思った通りになること と 上手くいくことは 違うのかもしれません。
自分の思った通りにならなくても きっと 私の人生は
上手くいっているのでしょう。

大きな幸せをつかむより・・・小さな幸せを日々感じる人生でありたいと思います。

こころと免疫

免疫力と“こころ”には深いつながりがあります。
ガンの治療成果もこころの持ち方次第。
とくにガンの克服には免疫力や、こころの問題が大きなウエイトを占めると
言われ、中でも“こころ”の問題は、免疫力と関係があるといいます。

ちなみに、、笑う機会が増えると、がん細胞を攻撃するリンパ球の一種
「ナチュラルキラー(NK)細胞」も強くなるそうです。

NK細胞は、体内で絶えず発生するがん細胞を破壊し、体ががんに侵されるのを
防いでいるのですが、攻撃力の大きさを示す「NK活性」は加齢とともに
低下しますが、積極的に笑おうとすることで再び活性化するとか。

やっぱり、どんな時も笑っていよう。

だからこそ、私は、がんになっても気持ちを前向きにすることで
充実した日々を送ろうと思っています。
そのために、病気そのものの治療だけでなく、心に目を向け、心の声に耳を傾け、
生きる意欲を引き出して、自分でできる限りのことをしながら、
免疫力を高める努力をしています。

がんを告げられた時には、死の恐怖にもおののきましたが
(今でも時折あります)・・・
だからこそ生きる目標を立てて自分と真摯に向き合う自分でいたいと思います。

『私のがん患者としての心得3ヶ条』

「自分が主治医になったつもりで病気に対処する」
自分の病状や治療方法やその効果を理解して、必要な情報を収集する。

がん情報誌「がんサポート」は勉強になります。
病院の外来などにもよく置いてあります。

そして、標準医療だけでなく、補完代替療法もT先生と話し合いながら、
選択肢として考えていく。

「今日1日の目標を立て、それに楽しむ」
仕事や趣味など自分がやりたいことに全力投球して、楽しむ。
私はケアの仕事を天職と思っているほど、やりがいを感じています。
だから、休職中ではありますが、体調の良い日には、施設へ出向いて
ケアに携わっています。

そして、今まではあまり出かけられなかったところへも小旅行したりしています。

また、最近、アロマオイルにも興味があるので、勉強しようと思っています。
実際に手術の傷跡や手足の荒れに、私にはアロマオイルはあっているようで、
効果が出ています。

「わき上がる不安や恐怖は、あるがままに受け入れて、共存していく」
がんであるゆえに、死の恐怖をぬぐうことができないものです。
時には、再発の不安で寝つけない夜もあります。
突然、涙が流れて止まらなくなるときだってあります。
でも、泣きたい時は思いっきり泣きます。
不安や恐怖も無理にぬぐおうともしていません。

それが「がんとともに生きる」ということだと思っています。

ということで・・・
今日はEXILEドームツアーに初参戦!
アリーナ席で、エキサイティング!
どんな治療よりも、私の免疫力はアップします。
きっと、この参戦で、かなりのがん細胞をやっつけた!と
思っています。

次の参戦は、12/3です。
職場のTさんと一緒に参戦!楽しみ!楽しみ!楽しみ!

明日は、施設で利用者様の11月のお誕生日会とケアカンファレンスが
あるので、出かけます。
一生懸命、利用者様にケアを尽くして、自分のやりがいを楽しんできます。

京都紅葉めぐり

21日に行った京都の紅葉巡りは、まずは平等院へ。

おそらく、週末が見どころなのでしょうけれど、色づき始めた紅葉も綺麗でした。
移り変わりゆく季節をまったりと感じました。

私は京都生まれということもあり、神社仏閣を巡ることが好きです。

お伊勢さんを参拝した時もそうですけれど、参道を歩いていると
気持ちが凛とします。

この道を、何100年も前に、歴史上の人々が同じように
歩いていたのかと思うと・・・
この参道を歩いた人の思いが、現世に受け継がれているのことの
素晴らしさを感じます。

自分が今していることが、形になって残らないかもしれない。
成し遂げられないかもしれない。
でも、きっと・・・この先、その思いや志は、必ず、
受け継がれていくような気がして。

そう思い、願うことで、今、自分がしていることがたとえ些細なことであっても・・・
形として残らなくても・・・それは、意味のあることだと、
気持ちが引き締まります。

今、自分にできることを、ひたむきにしていこう そう思います。

平等院の後は、今回の私の楽しみ「京都宇治 伊藤久右衛門 茶房」での甘味。

どの抹茶スイーツも私にとっては美味しくて、よくお取り寄せします。
栗抹茶ロールケーキは、ほのかに香る洋酒が栗の風味を深めて、
本当に美味しいです。

先回の副作用を考えると、8日目で、美味しさを味わえるのかと
とても心配でしたが、今回は、神様が、先回の副作用を頑張った私へ
ご褒美を下さいました。

頂いたお抹茶ぜんざいは、抹茶のほろよい苦みもぜんざいのほんのりとした
甘さも、とっても美味しく味わえました。
(本当は、パフェを食べたかったのですが、さすがに冷えたものは、
まだいただけません。)

美味しいものを美味しく味わえる「し・あ・わ・せ」でいっぱいでした!

「京都宇治 伊藤久右衛門 茶房」でお土産スイーツを買い込み、
その後、下鴨神社へ。

紅葉は、まだ青葉でしたが、銀杏の木は、黄金色に輝いていました。
日の光があたり、きらめくように美しかったです。

ここは、私の両親が結婚式を挙げた神社です。
母の実家も下鴨神社の近くで、幼い頃、よく母と散歩にも来ました。
今日は、母の形見のペンダントをつけて、参拝しました。

母が亡くなって、5か月が過ぎました。

母の葬儀後、すぐに手術のために入院し、抗がん剤治療に入り・・・。
ゆっくりと母を供養することもできなかったのですが、
今日、こうして、下鴨神社を参拝することができて、
母も喜んでいると思います。とてもよい供養になりました。

神社でおみくじを引きました。が・・・「末吉」
願いごと 「当分むつかしい」
病気 「長引くから、一層の努力が必要」
仕事 「もう少し考えよう」

あまりにリアル過ぎて、シャレにもなりません。
思わず、苦笑いするのが精一杯の私でした。

ちなみに、下鴨神社の楼門そばに相生神社という縁結びの神さまが
祀られています。

御祭神の神皇産霊神(かむむすびのかみ)は縁結びの神、
結納の守護神としてあがめられています。

めでたいことを「相生」といいますが、この言葉は「相生社(あいおいのやしろ)」
からできた言葉です。

相生社の側に「連理の賢木(れんりのさかき)」という不思議なご神木があります。
2本の木が途中から1本に結ばれています。
縁結びの神のお力で結ばれたと言い伝えられています

また、鳥居の手前には、「さざれ石」があります。
日本国歌にうたわれている「さざれ石」とは、ちいさな石という意味です。
さざれ石は年とともに大きく成長し、岩になると信じられている
神霊の宿る石です。

不思議なパワーがあります。

そして、下鴨神社の門前名物といえば「みたらし団子」みたらし団子

みたらし団子は下鴨の加茂みたらし茶屋が発祥で、下鴨神社境内にある
御手洗池(みたらしのいけ)の水泡を模して、この団子がつくられたと
いわれています。

下鴨神社の北西(同社から徒歩3分くらい)にある甘味処
「加茂みたらし茶屋」で頂くことができます。
(今回は、みたらし団子はお見送りしました。)

下鴨神社の御手洗祭(水で足を洗い、身を清める)というお祭りでは、
神様にお供えする供物は、串団子と決まっていて、加茂みたらし茶屋の
お団子がお供えされるそうです。

加茂みたらし茶屋さんのみたらし団子は、串に5本刺さっていて、
一番上の団子と、二番目以降の4つの団子との距離が離れています。

これは一番上の一つが人間の頭を、他の4つが、身体を表しているそうです。
この形は、無病息災を願ったのだということです。

以前いただいた時のお味としては、弾力のあるコシの強い美味しさがあります。
おこげの部分も香ばしくて美味しいです。

本当に、今回の京都紅葉巡りは、秋を満喫することができました。
私の心も色づきました。

この京都行きは、職場のTさんに、「京都宇治 伊藤久右衛門 茶房」で
パフェが食べたいなぁとつぶやきメールを送ったことがきっかけでした。

彼女はすぐに返信メールで「じゃあ、行きましょう」と。
私 「でも、京都だし・・・なかなか行けないよね・・・」と。
彼女 「だからこそ、行くのよ!私、車出しますっ!」と。

いつもいつも私を励まし支えてくれている彼女に本当に感謝です。

瀧原宮参拝

7日は、皇大神宮(内宮)別宮 で 「大神の遙宮(とおのみや)」と
言われる「瀧原宮(たきはらのみや)」、「瀧原竝宮(たきはらならびのみや)」に
行って来ました。

ご鎮座の地は、宮川をさかのぼること約40km、その支流大内山川が深い渓谷を
なして流れる山間にあります。

「瀧原」という名は、大小たくさんの滝があるところから出た名です。

このお宮へは、現在伊勢市にお住いのHさんに連れて行って頂きました。
Hさんとは、8年前に出逢いました。そして、Hさんとの出逢いによって、
私は、自分の生き方を変える転機を迎えました。
今、こうして、自分自身と向き合えることができるのは、
Hさんとの出逢いがあったからこそなのです。

私にとっては、かけがえのない大切な方です。
その方と数年ぶりにお会いして、瀧原宮を訪れるということも、
きっと神様からのGiftなのだと思います。

瀧原宮は、鳥居を潜るとなんとも、清らかで柔らかなエネルギーを感じます。
心が鎮まり、豊かになる感じがします。全体のつくりも、
内宮によく似ていて、ご正宮に向かって歩いていくと、右側に清らかに流れる川、
御手洗場(みたらし)があり、その奥、山を背にして南面にご正殿があります。

川の水は、川底に射し込む光が輝くように澄んでいて、水に手に触れると、
とてもまろやかです。
本当に心も浄化されていくようです。

ご正宮に向かうまでの間、生い茂る木々も天高くまっすぐに伸びていて、
その姿は凛としています。
木漏れ日からの日差しは、とても温かな感じがします。

奥までの参道を歩いていくと、お宮が2つ並んでいます。

右側が「瀧原宮」、左側が「瀧原竝宮」です。
皇大神宮別宮「瀧原宮」のご祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。
皇大神宮別宮「瀧原竝宮」のご祭神は、同じく天照大御神(あまてらすおおみかみ)
ですが、こちらは、「荒魂(あらみたま)」を奉斎しているようです。

「瀧原宮」「瀧原竝宮」を参拝しようと神殿に歩き進んだ時、それまで少し
曇りがかっていた空から、太陽が姿をあらわして、温かい日の光が射してきました。

荒魂が出てこられたのでしょうか・・・。

荒魂とは、神の荒々しい側面、荒ぶる魂として、天変地異を引き起こし、
病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きであると
されています。

それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な
側面とされています。

荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の
表れであり、実際に、別の神名が与えられたり、別に祀られていたりすることも
あります。

人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、
儀式や祭を行ってきました。

また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを
内包している魂とされ、新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされています。
つまり、それだけ強いエネルギーを持っておられるということです。

内宮と案内して下さったボランティアガイドの方も、
荒魂の宮は、とても大きなエネルギーを持っています。
あなたの声が届けば、きっとその大きな力であなたを救って下さるかもしれませんよ。
と言われました。

私は、この「瀧原竝宮」を参拝した時に、自分のからだが包み込まれるような
感覚を味わいました。
その感覚は、荒々しく力強いものではなく、むしろ、心が癒されるような
優しく温かいものでした。

参拝を終えると、少しずつ太陽の日の光が眩しいくらいに輝きはじめ、
やがて、静かに光が和らいでいきました。

荒魂がお帰りになったのでしょうか・・・。

「瀧原宮」へ向かう途中の御手洗場で手水をした時、水が冷たくて、
手の痺れとともに痛みを感じました。

いつもなら、「あ・・・嫌だ。嫌だ。痛い。いつまで続くんだろう。早く治まって。」と
気持ちが落ち込みます。そして、すぐに手を引きこめます。

でも、この時、痛みを感じながら思いました。
「私は、今、生きている。生きているから、この痛みを感じるんだ。
生きているからこそ、痛いんだ。」

そう思い、しばらく、手を川の水の流れに任せてながら、
「私、生きている。生きていいるから、こうして痛みを感じる。
そして、清流を感じ、心地よい川の流れる音を聴き、日の光を温かく感じられる。
生きているからこそなんだ。生きている。嬉しい。
ありがとう。ありがとうございます。」

そう心の中で感謝しました。

すると、不思議にも、次第に痛みが消えていきました。

そして、参拝の後、青く高い空を見上げていると、それまで少し痺れていた足元に
大地の底から突き上げるような力を感じました。
ふっと、足元を見つめていると、今度は、土の温かさが伝わってきたかのように、
温かくなり痺れが消えました。

瀧原宮前日の外宮、内宮、そして、瀧原宮を参拝して、
神様の「お告げ」があったとしたら・・・それは、

「あなたは、今、こうして生きている。生きてここにいる。
立ち止まらずに、これからも、今をひたむきに生きなさい。」
ということだと思いました。

過去を悔むことなく、明日を憂うことなく、今をひたむきに生きていく。生き続けていく。
そして、またここを訪れよう。

そう心に誓いました。

伊勢神宮参拝 一期一会

休薬期になりました。
味覚もほとんど回復しました。
ただ、まだ少し、舌の感覚に微妙な違和感が残っています・・・。

さて、6~7日、伊勢神宮へ参拝に行ってきました。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神を祀る皇大神宮と、
衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、
皇大神宮を内宮(ないくう)、豊受大神宮を外宮(げくう)といいます。

そして、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、
所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称しています。

ちなみに・・・「お伊勢さん」「大神宮さん」「伊勢神宮」と言われていますが、
単に「神宮」というのが正式な名称だそうです。

今回は、6日に、まず外宮を参拝してから、内宮に参拝し、
7日は、別宮の瀧原宮(たきはらのみや)を参拝しました。

6日は、ほんの少し小雨もありましたが、傘をさすほどのことはありませんでした。
かえって、小雨に濡れた緑が瑞々しく、五十鈴(いすず) 川には、神秘的とも
いえるような霧が少しかかっていました。
そして、時おり、参道の木々の木漏れ日がかがやき、神々しさを感じるくらいでした。

外宮と内宮は、地元の観光ボランティアの方に案内をお願いしました。

年齢は、60歳くらいの品のある優しい穏やかな女性でした。
ひとつひとつ、神話とともに、ご自身の神宮への思いを語りながら、
案内してくださいました。

この女性は、案内ボランティアを始められてから、1年半だそうです。

案内ボランティアを始められたきっかけをお伺いすると・・・
伊勢に生まれ育ったにも関わらず、この歳になるまで、実家も浄土宗なので、
お伊勢さんには時々お参りにくるくらいだったのよ。
でもね、ふっと、私がこうして伊勢に生まれ育った意味が
あるんじゃないかって思いましてね。

う思った時に、お伊勢さんに呼ばれているような気がして。
そして、神話を読んでいくごとに、自分の人生につながることがたくさんあって。

今もこうして案内させて頂きながら、いろいろな人に出逢って、
いろいろなことを勉強させてもらっています。とてもありがたいことです。

こうした一期一会の出逢いに感謝しています。そして、一期一会を大切にしたいと
思って、案内させてもらっています。

きっと・・・あなたも(お伊勢さんに)呼ばれていらしたと思うの。
あなたにお告げしたいことがきっとあるのだと思いますよ。

そう話してくださいました。

私の座右の銘は「一期一会」。
このボランティアさんとの一期一会に、不思議なご縁を感じました。
初めて出逢った方なのに、どこか懐かしい人に再会したような・・・
一緒にいて、とても安らいだ気持ちでした。
また、いつかお会いしたい・・・そう思っています。

内宮の中で、私が最もエネルギーを感じたのは、風日折宮でした。
参拝のために、手前あたりまで行こうとしたら・・・
急にからだの中に何かが流れるような感覚を強く感じました。

患者ならではの表現をすると、CT造影検査の時に、造影剤を点滴されると、
一瞬でからだ中に造影剤が駆け巡り、からだが熱くなります。
この感覚にとても似ていました。

そして、からだを揺さぶられような感じを受けた後、すーっと
からだの中の熱さがひいて、とてもからだが軽くなったのです。

とても不思議な体験でした。
ちなみに・・・帰ってきてから、神宮のことを少し調べたら・・・
この風日折宮はパワースポットのひとつでした。

あらら?そうだったの???
(あらかじめ、調べていくべきだった・・・)

【 伊勢神宮 内宮 パワースポット 】
1.風日折宮の手前付近。(かなり強い)
2.荒祭りの宮に行く途中にある巨木付近。(若干弱い)
3.御正宮手前の巨木付近。(若干弱い)
4.伊勢神宮 内宮 御正宮正面。(最大)
【 伊勢神宮 外宮 パワースポット 】

1.多賀宮の手前参道の巨木付近。(若干弱い)
2.御正宮手前の巨木付近。(若干弱い)
3.伊勢神宮 外宮 御正宮正面。(強いが気の質が違う)
4.私が秘密の参道と紹介した巨木の付近。(若干弱い陰の気)
だそうです。

こうしたパワースポットと言われる場所もありますが、
神宮内を歩きながら、木漏れ日の輝きを目に受け、凛とした風を感じ、
木々の緑の香り、五十鈴川のせせらぎを聴ていると・・
やはり、自分自身がみそがれるような気がします。

今までの人生において、良くも悪くも、身に纏ってしまったもの・・・。
時には、私自身を守ってくれたものもあれば、自分を守るあまりに、
人を傷つけてしまったものもあります。

自分自身を守るために何重にもまとった鎧は
私には・・・重すぎたのかもしれません。

この鎧を、ひとつひとつ身から放して生きていくことが・・・
これからの私の生き方につながるような気がしています。

7日に参拝した別宮の瀧原宮で、私は、ボランティアさんが言われた
「お告げ」を感じました。
この「お告げ」については、明日の記事で綴りますね。

2クール目 休薬期

休薬期は、施設へ出かけ、ケアにあたっています。

自分が患者として、医師や看護師から体験したことが
良い経験となっています。
心から笑顔になっていただけるケアを目指して!
今日も笑顔でケアさせて頂きました。

さて、休薬期になり元気になると、やっぱり思います。
「なんで、こんなに元気なのに。私は本当にがんなんだろうか???
なんか悪い夢でもみているんじゃない?」

そう問いかけると、T先生の告知の言葉が頭を駆け巡ります。

「あなたのがんは、今の医療では治すことができない。治療をして、
再発まで少しでも長く延命して、できるだけ元気でいられるように。」

つまり・・・治らないがん いつか再発する ってことか・・・。これが現実。
ならば、その現実を受け入れるしかない。しっかりしよう。
と、また、気持ちを立て直します。この繰り返しです。(笑)

そこで、次回クールの休薬期に、伊勢に行こうと思います。

実は、伊勢には前から行きたかったのですが、仕事が忙しく、お休みの時も
自宅で仕事を持ち込んだりして、なかなか行けなかったのです。

こうして、休職してからも、もし旅行先で何か体調が悪くなったらどうしようか、
かえって、一人旅などしたら、気持ちが沈みこんでしまうのではないか・・・
などと躊躇していました。

でも、同じがん治療を受けておられる方が一人旅をされたブログの記事を
拝見して、気持ちが吹っ切れました。

同じような立場の方からの経験や知恵は、とても励みになります。
躊躇っている自分の背中を押してくださっているような気がします。。

見たいものを見る。食べたいものを食べる。
行きたいところに行く。やりたいことをやる。

そう思いつつも・・・私、贅沢だなぁ。みんなは一生懸命にお仕事しているのに。
申し訳ないなぁ。こんなにゆっくりさせてもらっていいんだろうか。
なんか後ろめたい・・・。とも思ってしまうのです。

そして、前を向いて進もうとする私の背中には・・・
もしかしたら・・・もうできなくなってしまうのかもしれない。
今しかできる時はないのかもしれない。
そんな不安と言いようのない怖さを背負っています。

でも、自由奔放で我がまま放題というわけではありません。
必ず、何かを感じて掴んで、それを、私を支えて下さる方に、
お返しできるようにと思っています。

今、いろいろとやりたいことが浮かんできています。
趣味として始めたいこと。
休職中でありますが、仕事としてやりたいこと。
同じようながん治療を受けておられる方のためにやりたいこと。

すぐに始められることもあれば、壮大な?儚い?夢のようなものもあります。

でも、「儚い」夢でも、まわりの「人」の支えをお借りできれば
「夢」は叶うと信じています。

誉めるということ

世界体操東京2011 個人総合決勝で、内村航平選手が前人未到の3連覇を
達しましたが、彼は、「優勝よりもエレガンス賞の方が何よりうれしい」と
語ったことがとても印象的でした。

最も観客を魅了した選手に与えられるロンジン・エレガンス賞。
昨年、女子で田中理恵選手が獲得し話題になりましたが、個人総合優勝者は
選出されない傾向があり、09・10年と内村に次ぐ2位の選手が受賞。

「(魅了することは)一番こだわっている部分。去年『今年は俺だろう』と思ったけど
優勝するともらえないって聞いて…。理恵さんにも少し嫉妬した(苦笑)」と
彼らしいコメント。

個人総合とエレガンス賞の2冠は2人目、男子では史上初。
そして、彼の次の目標は、来年のロンドン五輪。
狙うは今回逃した団体金と、個人総合の2冠。
「世界一の努力をしているつもりだし、今は負ける気がしない。
僕はありえない選手になりたい」

そう、限界を作ってしまうのは、自分自身。
あきらめてしまうから、成し遂げられない。
あきらめなければ、必ず、成し遂げられる。

人には無限の可能性があるということを、彼の言葉から、あらためて感じました。

さて、ここで、あらためて、人をほめるということを考えてみました。
内村選手にとっては、3連覇よりもエレガンス賞が嬉しかったわけです。
つまり、周りの人が賞賛したかったことと自分が賞賛してほしかったことが
違っていたわけですね。

これは、よくあることです。
職場のMリーダーが相談にきたことがあります。
「スタッフを(成長のために)誉めているのに、なんだか通じていない。
誉め方が下手なんですかね?」

以下、私とMさんの会話

「Mさんは、スタッフの成長のために、リーダーとしてスタッフのいいところを
伸ばそうと、誉めることを大切にして指導してくれているんだね。
私達、指導者って、叱ることが多くて誉めることって、なかなかできないけど、
それに努力してくれていることが、私はとても嬉しいよ。
そういえば、前にも誉め方の勉強したいから、何か本はありませんかって
聞いてくれたよね。Mさんのそういう取組みってすごいと思う。

それに、Mさんって、会議で、対策とかが決まらなくて、行き詰って
悶々としている時に、“まぁ、考えていても決まらないから、
まずやってみませんか”って切り出してくれることが多いよね。
私としては、“ん??ちょっと待って。簡単に決めちゃいけないよ。
そう少し考えようよ。”と思ったりするんだけど。(笑)

でも、Mさんのその一言で、その場の重苦しい空気が変わるんだよね。
それがききっかけとなって、議論が再び進むことってよくあると思うんだ。
そういう、場の雰囲気を変える一言が言えるってMさんらしくって、
私、いいと思うんだ。私にもそういう感覚ほしいなって思う。」

「ええ?そうですか(笑)そんなふうに思ってもらってるとは思ってなかったです。(笑)」

「ところで、私、今、Mさんのこと、2つ誉めたんだけど・・・。
それぞれどんなふうに感じたかな?」

「あっ、そうですね。1つ目は、自分が努力していることだから、
認められてよかったと思いました。2つ目は、それほど、意識していなかったこと
だけど、自分のままというか、自分らしいところを誉めてもらって、
照れたけど嬉しかったです。」

「あえて、選ぶとしたら、どっちが嬉しい?」

「2つ目です。」

「そうなんだよね。人って、努力していることへの結果や目標達成の成果を
認めてもらうことだけじゃなくて、自分らしさとか自分のこだわりとかを認めてもらう、
誉めてもらうことの方が嬉しい時って多いと思う。Mさんがスタッフを誉める時も、
誉める視点を変えてみるといいかもね。どう?」

「なるほど。そうですね。僕は、介護の仕方とか利用者さんへの接し方とかしか
誉めていないから、もっとスタッフのその人らしさを誉めてあげるようにしてみます。」

「でさぁ、この機会に、ちょっと聞いてみたいんだけど、Mさんが自分として
誉めてほしいことって何?」

「自分としてですか?そうですねぇ・・・僕はリーダーの中では一番年下なんで、
他の年上のリーダーさんの足を引っ張らないように、できるだけ自分から動こうと
思っているんですよ。これでも(笑)。
そういうところ、誉めてもらえるともっと頑張れるんですけど。
それって当たり前のことで、なかなか誉めてはもらえないですよね~。」

「そうだったんだ。気づいてあげられなくてごめんね。
今度から、私、Mさんのそういうところ、誉めるわっ!(笑)。
でね、人って、自分が誉められたいことと周りの人が誉めたいことが違うことも
よくあるのよ。だから、私がMさんに聞いたように、スタッフにも聞いてみたら?
まぁ・・・本音を言ってくれる信頼関係があるかどうかってこともあるけどね。(笑)」

「そっか。そういう手もありますね。今度、本音を言ってくれそうなスタッフに
聞いてみますよ。」

人は、成果や結果だけでなく、自分らしさを認められたいと
いつも思っているものです。

心という字


世界体操東京2011 個人総合決勝 本当に感動しました!
感動という言葉で表現することが、陳腐にさえ思えます。

内村選手、そして、山室選手の一挙一動に、気迫漲るものがありました。
いろいろなことを乗り越えたからこその真の力強さがありました。
そして、人と戦うのではなく、自分自身と戦うことの真髄がありました。

まさに、大和魂を感じる演技でした。

ふたりで肩を抱き合い、メダルを手にした二人の笑顔は最高でしたね。
思わず、からだ中が熱くなって、涙がこぼれました。

乗り越えたからこそ、手に入れることができるものがある。
それを信じて、先へ先へと進むのみ。

そんな彼らのメッセージを感じました。

さて、先日頂いたコメントの返信にも綴ったのですが・・・

『心』という字をひもとけば点でばらばら。どこも交わるところがない。
でも、その心という字に1本交わる線を引くことによって
『必ず』という字になる。
誰かが誰かの心に1本の手を差しのべることによって、その人が
その人にとって必要になる。
心が折れそうになっても、きっと誰かが手を差し伸べてくれる。
だから、大丈夫。

『心』という字について、もう少し考えてみました。

『心』という字は、 一つ一つの文字がばらばらで、一画も交わるところがない。
そして、ひとつひとつ、向いている方向も違う。
でも、とてもバランスよく、まぁ~るくまとまっています。
人の心って、この字のように、向かう方向も違っていて、ばらばらで交わることが
きっと難しいんですよね。だから、お互いに理解しあう努力が必要なんですよね。
みんながお互いにかかわりあって、バランスをとっていけば、まぁ~るくまとまります。

手術後退院した頃、TVのバラエティ番組
「心という字が入った漢字。これを最低4つ書いてください」という
心理テストをやっていました。

私が、まず思いついたのは、『愛』『思』『志』『念』
そのほかには『恋』『意』『悲』『恩』『想』『忍』『恐』『恵』『慈』などなど・・・。

こうしてみると、ほとんどの字は、『心』が下にあります。
つまり、『心』という字が人の気持ちや思いを下からしっかり支えているようですね。

そして、『愛』『優』『憂』『慶』『寧』などは、『心』が真ん中にあります。
愛情 優しさ 憂い 慶び 寧というのは、人の中で育まれていくものなのでしょうね。

最近、お子さんの名前にも、『心』という字をつけることが多いそうです。
心愛(ここあ) 心琴(みこと) 愛心(まなみ) 心優(みゆう) 心結(みゆう)
そういえば、SMAPキムタクの娘さんは、心美(ここみ)ちゃんだったな。

ちなみに・・・『忙』(忙しい)は、心をなくす ということです。
自分の心、大切にしてくださいね。

笑顔は心のメッセージ

2クール11日目

ほとんど胸やけもなく、食事もちゃんと食べられるようになり、来週の
活動期準備に入りました!

ただ、夜風にあたるとのどの締めつけ感はありますが、冷たい物を飲んでも
違和感はなくなりました。

そこで、今日は、夕方からの職場の会議に出向きました。
2時間ほど皆で話し合い、ケアに関してとても勉強になりました。

職場に行くたびに、「早く、復帰したい」という思いが募ります・・・。
でも、焦らずに、1日1日できることをしていこうと思います。
来週は、今日、学んだことを活かして、ご利用者様のケアを
させていただこうと思います。

さて、私が好きな笑顔の人。

一人目は、世界体操東京2011で活躍された体操選手、田中理恵さん
からだの線の美しいエレガンスな演技はもちろんステキですが、
どんな時も笑顔が弾けています。

緊張感で押しつぶされそうな時も、悔しくてたまらない時も、そして
競技を終えたチームの選手を迎える時も、彼女の笑顔は、森林の中で
差し込む澄んだ光のようです。

どんなに辛いことがあっても、その先には、光があると力づけられる笑顔です。

二人目は、「樫木式 カーヴィーダンス」考案の
ボディメイクトレーナーの樫木 裕実さん。

私も、樫木さんの著書「カーヴィーダンスで部分やせ!」持っています。
ちょうど、4月頃から、下腹部が出てきたので、引き締めようと思って購入しました。

そして、DVDを見ながら、樫木さんのとびっきり元気な太陽のような笑顔と
「一緒に頑張るのよ~」の声がけに、「ゆるカーヴィーダンス」を
楽しんでやっていました。


まぁ・・・今思えば、太ったのではなくて、卵巣の腫瘍が腫れて
下腹部が出てきたわけですから、カーヴィーダンスをしても
引き締まりませんでしたけど。(笑)

樫木さんの笑顔は、私の心を元気にしてくれます。
きっと楽しいことがいっぱいあるって思えるようになります。

ひとそれそれの笑顔には、その人の心のメッセージがあるのだと思います。
私は、目の前にいる人の笑顔と、そして、その人の心のメッセージも
受けとめたいと思いながら、その笑顔とともにいます。

私の笑顔にも、私の心のメッセージが伝わるといいなぁ。

ちなみに、副作用で辛い時も、私、笑顔体操(口角を動かす)は、
ちゃんとやってます。(^.^)

私、がんになってから、笑顔がふえたような気がします。
今まで、何気なく見過ごしていた些細なことが嬉しくて。
今まで、当たり前だったことが幸せに感じて。

がんが、忘れかけていた笑顔を届け運んできてくれた気がします。

10年間パスポート

今日の世界体操東京2011 男子団体 感動しました!

自分の持てる力を最大限に、この瞬間に発揮しようとする彼らの姿勢は
見ている人の感動を引き出すだけでなく、その人の生きる力をも引き出す。

最後の最後まであきらめない。
力強く踏みしめた着地は、次への一歩。

人が何かに向かって懸命に取り組む姿は、何よりも美しく、輝いています。
そして、結果如何によらず、それは必ず次へつながるものです。

今日は、先月申請したパスポートを取りに行きました。

申請したパスポートは、10年後の2021/9/30まで有効となるものです。

私は、5年前にNLPという心理学を学んだ時に、10年後の自分に
手紙を書きました。

あれから、5年が経ちました。
そして、あと5年経つと、その手紙を手にすることができます。
その日をとても心待ちにしています。

また、5年という時間軸は、がん患者にとって、5年生存というひとつの
治療効果の目標になります。

だから、パスポートも5年間有効のものを申請しようと思いました。

でも・・・
5年? ううん、違う。10年だ。
私が私らしく生きるためには、5年でなくて10年!
10年後、必ず、このパスポートで、行きたいところへ行きたい人と一緒に行こう!

そう、はっきりと自分の心の声を聴きました。
だからこそ、パスポートの写真は、抗がん剤治療を受ける前日に撮りました。

10年後、きっと、私は、パスポートの写真を見て・・・

そうだ。あの時、がんと向き合う決意をして、この写真を撮ったんだっけ。

そう、懐かしく思うはず。

最後の最後まであきらめない。
力強く自分の人生の一歩一歩を次へ踏み出す。
10年後の自分の人生に向かって。

そういえば・・・
一昨日、弟に2クール目の様子をメールしました。

その返信には・・・

「私たちは、お姉ちゃんは10年は頑張ってくれると信じています。」

弟達も、がん患者にとって、5年というひとつの生存目標があることは知っています。
その上で、あえて、10年というのは、さすが我が弟!
やっぱり、私達 兄弟なのね。(笑)

がんサバイバー

今日で、やっと8日目。
まだ、胸やけとだるさが残っていますが、食欲も回復してきました。
痺れも軽く残っている程度。だた、夜風にあたると、痺れが広がります。
ゼローダの副作用の手足症候群は、腫れや荒れは今のところ出ていませんが、
足の裏や掌に、しみのような斑点が増えて、足の指先が色素沈着してきています。

この1週間、お天気がいいのに、どこへも行けず、誰とも会えず。
完全な引き籠り生活。
時折、ベランダに出て、高い空を見上げていると「私、いったい何を
しているんだろう・・・」と心が折れそうになります。

身体的にもキツイですけど、精神的にもキツイです。
ホント、友人や職場のスタッフからのメールが、心の支えになっています。

『がんサイバイバー』という言葉があります。
サバイバーとは「生存者」という意味で、『がんサバイバー』といえばがんの生存者と
いうことになりますが、実は、長期生存者という意味だけでなく、
もっと積極的な意味があります。
つまり、治療中とか治療後とか、がんになって数カ月とか10年とかの段階に
関係なく、がんと向き合い、自らの意思でがんとともに生きていこうと
している人のことを、『がんサバイバー』というのです。

『がんサバイバー』という言葉にそうした積極的な意味を与える最初のきっかけを
つくったのは、アメリカのサバイバーシップ連合(National Coalition for Cancer Survivorship:NCCS)という組織。
このアメリカのがんサバイバーシップ連合は1986年、25人の代表者によって結成されました。
最後まで自分らしく生きていくためには、受けたいと思う治療を受けられることや
痛みや苦しみを取り除いた高いQOL、正しい情報、偏見のない社会などの実現が必要になる。
そしてそれらを実現するためには患者の家族はもちろんのこと、医療者や地域社会の
協力や支援が欠かせない。

そのためがんサバイバーシップ連合の運動は、広く社会に働きかけるものとなり、
事実、がんサバイバーシップ連合は治療費の問題、がん関係の研究予算の要求、
患者にとって治療上のアンフェアな問題などを政府に訴えかけたりもしています。

また、北里大学病院看護部長の小島恭子さん
「週刊医学界新聞」(2001年1月29日刊)では

「(がんサバイバーシップは)がんが慢性疾患として位置づけられ、医学的見地から
5年生存率や治療効果を評価した生存期間を重視するものではなく、発病し、
がんと診断された時から、その生を全うするまでの過程を、いかにその人らしく
生き抜いたかを重視した考え方とも言えます。不治の病に侵され、社会的な偏見に
さらされてきたがん患者さんが、人権やQOL(生活の質)を問い、受身の姿勢から
自らがその復権に立ちあがったわけです。がんと共存し、意味ある人生を
生き抜くという、能動的な姿勢がそこにあります」とあります。

正直な気持ち・・・心が折れそうになることは今も何度もある。
大腸がんのステージⅣの5年生存率を考えると、たとえ、それが統計上の数字と
わかっていても、空しくなる。やりきれなくなる。

だけど・・・
しっかり前を向いて『がんサバイバー』として笑顔で生きていくと決めたのだから
明日も笑顔でいよう。


自分の時間 そして、未来

ちょうど、1年前、大好きなEXILEのスタジアムツアーの千秋楽に続き、
ファンクラブ感謝祭ライブに出かけていました。

実は、まだ父の四十九日の喪も明けてはいなかったのですが
毎日、父が亡くなったことを悔み、悲しみに打ちひしがれていても
父は、喜ばない。父は、私が笑顔で元気に過ごすことを願っているはず。
きっと、旅路の向こうから「行って楽しんおいで」と言ってくれるだろう。
そう思い、出かけたのでした。

そして、気持ちを切り替えて、また明日から、母のことを大切にして
仕事にも一生懸命取り組んで、利用者様にも職員にも
喜んでもらえるように、力を尽くそう。
そして、来年もこのライブを思いっきり楽しめるように頑張っていこう。

そんなことを思いながら、高い秋の空を見上げた記憶があります。

あの1年前、1年後に、自分ががんと向き合わなければいけない人生に
中にいるなんてことは、夢にも思わなかった。
そんな物語が自分の人生にストーリーにあるなんて、思いもしなかった。

今、また、1年後はどうしているだろうと思います。
きっとまた・・・思いもしない物語が繰り広げられるのだろうって
思います。

明日を、1年後の未来を思い描くことは大切なこと。
自分の生きる標になるわけですから。
でも、決して、悲観的になることなく、憂うことなく、
否定することなく描いています。

進行がんと告知されたことで、やはり、自分の時間、自分の未来を考えます。

今までは、日常生活の中で、慌ただしく過ぎていく時間の中で、
何をするべきか したいか なんて考える余裕もなく・・・。
いえ、実は考える時間があっても、「まぁいいや。また明日。また今度。」
時間はいくらでもあるのだからと先延ばしにしてきたこと、数えきれない。
日常の中で、ついつい・・・流されてしまう。「まっいいか」と。
「そのうちにね・・・」そんな人生を送り続けてきた私。

でも、今は少しだけ違う感覚があります。
(実際には、言動まではまだ伴っていないのですけど)
余命を宣告されたわけでもないので、僕然とした感じではあるのですが
もしかしたら・・・私の人生には時間に限りがあるのかもしれないと思うと
今すべきことは何か 今しなければ、やり残してしまうことにならないか
をより意識して考えるようになっています。

今を大切に。この瞬間を大切に。

思い出した言葉があります。

「あなたがなんとなく過ごした今日は、
昨日亡くなった人が必死に生きたいと願った明日 」

自分が描いていた未来への時間軸が少し短くなってしまうかもしれないなら
その時間軸の中で、心豊かな人生を送りたい。

がんが治らなくてもいい。
でも、こうして元気であたりまえの毎日を少しでも長く
穏やかに過ごせたらいい。


プロフィール

さくらのように

Author:さくらのように
仕事にやりがいを感じながら、日々、懸命に生きてきました。
でも、ある日、進行がんを告知され、これからの人生を
がんと向き合いながら、どう生きていくか・・・

何かに向かって懸命に生きるというこは
たとえ、それが叶わなかったとしても
誰かの生きる希望や力になれる

そう信じて・・・。

心からの笑顔いっぱいに生きていきたいと思います。

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