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笑顔が元気の源

職場の男性職員2人が会いに来てくれました。
普段と変わらない笑顔にとても元気づけられました。

笑顔は人と元気にします。
笑顔にあふれている職場に、早く復帰したいと強く思いました。

進行がんの告知を受けてから、1週間たちました。
自分の中で、がんであるということが現実的になるとともに、
ともに生きていく戦友のような気もしてきました。

ここで、告知を受けて今日までの気持ちを整理しておきます。


7/27 告知当日

さすがに進行がんと告知された日は、ショックでどうしていいのかわかりませんでした。
「どうして私が?」
「これからどうなるの?」
「年単位での延命ってどういうこと?」
進行がん=つらい治療=死 というイメージが大きく襲ってきます。
何をする気も起らず、食事もできず、泣き止んだかと思うと、また、涙が溢れる・・・。
泣き疲れて・・・眠った1日でした。

7/28 告知後1日目

友人ふたりが会いに来てくれました。
昨日、泣き腫らしたせいか・・・
朝目覚めたとき、昨日の告知が悪い夢のようにも思えました。

感情は昨日ほど湧いてこない。
気持ちが落ち着いているようにも感じました。
現実逃避・・・でしょうか。

これからどのように生きていきたいのか そのためにどんな治療を受けていきたいか
友人と話しながら、自分の気持ちを整理しながら話すことができていました。

少し、涙ぐむことはあっても、感情が取り乱すことはありませんでした。

7/29 告知後2日目

また、気持ちが落ち込みました。
高濃度ビタミンC点滴療法を受けに出かけ、その後、少し、
気分転換にウィンドウショッピングをしました。
鏡に映る自分の姿をみて、「私、少し痩せたけど、顔もやつれていないし、
こうして、外にでかけることだってできるのに・・・。
目に見えるがんも全部取ったのに。それなのに、治らないがんなんだ。
いつまで生きられるかわからないんだ。」

そう思うと、また涙が流れます。

「どうして私が?どうして私なの?」
「何か悪いことしたかな?それなりに一生懸命生きてきたのに・・・」
そう自分を責めてしまいます。

7/30 告知後3日目

職場の人が会いに来てくださいました。
職場の話をしている時は、それなりに笑ったりもしました。

ただ、やはり、進行がんであることを話し始めると涙が出ました。
どうしても・・・あとどのくらい生きられるのかと思うと辛くなります。

7/31 告知後4日目

大好きなアーティストのライブに出かけてみました。
からだは大丈夫かと自分でもかなり心配でしたが、
気持ちがはれることで免疫力があがることも大切だし・・・。
思い切って出かけました。

席は、なんとアリーナ席、最前列のセンター席で、
メンバーが躍ると、ほとばしる汗まで見える席です。
この会場でおそらく一番の一等席です。


神様は・・・
これが最後のご褒美よ。思いっきり楽しみなさいね。
そう言うのでしょうか?

それとも・・・
この次も、来年も、このライブが楽しめるように頑張るのよ。
そう言っているのでしょうか。

そう、思いっきりライブを楽しめるように頑張らなきゃ!
来年も再来年もライブにくるんだ!
そう思いました。

思いっきり楽しみました。
さすがに、1時間ほどするとからだに疲れを感じ、腹部への
多少の痛みを感じるようにはなりましたが・・・。

ライブを楽しめるまで身体的には回復しています。
気持ちも、前向きになり始めています。

8/1 告知後5日目

自分の気持ちをコントロールする術が少しわかってきたように思います。
どうしたらいいかは・・・後程のブログで。
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進行がんの告知 7/27

退院後、初の外来受診

術中の病理検査の結果とともに、
今後の治療について説明をうけました。

なんとなく・・・頭ではわかっていたこと 覚悟していたこと

これからの治療のことだけどね、
抗がん剤治療を行っていかないといけない状態。

ただ、今の医療では、あなたのがんは、完治できないから、
再発するまでの時間を長引かせるというか、
普通に生活できる期間をできるだけとっていくという
延命的な治療として考えてもらった方がいい。

大腸のがんは、外に顔を出している状態で、
大きさはそれほどではなかったけど、かなり深かったんだよね。

手術で、今ある「しこり」は全部とったけど、
がん細胞はからだに残っているから。
腹水も少しあって、そこにもがん細胞があった。
もちろん、腹水は洗い流してはいるけれどね。

「卵巣は転移だったんですか?
 卵巣がんの抗がん剤治療もうけるということですか?」

卵巣の方(腫瘍)は、大きかった。
だけど、卵巣は、原発巣でなく、大腸からの転移と考えているから、
抗がん治療は、大腸がんとしての治療を行い、
卵巣がんの治療は考えていないけど。

「進行ステージは?」

ステージは、Ⅳ。転移があるから。

「延命的な治療なら・・・副作用の強い抗がん治療は、受けたくないです。
副作用のない治療法を考えたいです。」

抗がん剤の治療は、副作用も少なくなってきている。
仕事をしながら受けている人もいるしね。
副作用が出てきたら対処しながら、
減量して調整していくことももちろんできる。
耐えられない範囲のことではないと思う。

自分が手術をした患者さんだから、頑張ってほしいと思う。

「私の場合、抗がん治療はどのくらい続けるんですか?」

たぶん・・・ずっと。
抗がん治療を受けていれば、年単位で延命できる。
2年生きていられれば、新しい薬も出てくるかもしれない。
治るかもしれない。

「・・・・・」

じゃあ、これからあなたはどう生きていたい?
再発までの時間をどうしたいと考えているの?

「これからですか・・・」

それから、弟さんは今日一緒じゃないけど、どうしようか?
僕から電話して話しておいてもいい?

「いいえ。大丈夫です。私が話しますから。」

もし、弟さんから連絡があったら、話してもいい?

「いいえ。私が話しますから、いいです。」

心配だなぁ。なんか強がって話してしまうんじゃないかって。
「大丈夫。抗がん剤治療をうければいいって。」ってくらいにしか
話さないんじゃないかなって思ったんだけど。
家族に心配をかけたくないって思うのはわかるけど、
これからは頼っていかないといけない。
甘えていかないといけない。

ひとりでは乗り越えていけないことだから。

僕から、話をさせてもらえないですか?

何を心配しているの?
経済的なこと?
治療費は高額限度負担制度など公的な援助が受けられるから、
あまり心配しなくてもいいと思うけど。

「経済的なことは心配していませんから大丈夫です。」

抗がん治療は、患者さんに黙って進めることはできないから。
あなたがどうしたいか それをできるようにするのが 僕の仕事だから。

セカンドオピニオンも含めて、もう一度、考えてみて。

「はい。次回にはセカンドオピニオンも含めて考えて
 弟と一緒に来ます。」

横を向いていた私の顔を少し遠くから覗き込むようにして、
そう主治医は言いました。
怒っているようではなく、大丈夫かなぁと心配そうな顔をしながら、
微笑んでいたように感じました。

そして、カルテに次回受診日を入力しながら・・・先生はつぶやいていました。
「きっと良いように考えるようになるから・・・」と。

「良いように」ってどういうこと?と一瞬、私は思いました・・・。
「誰にとって、本当に良いようになのか?」

もっと動揺するのかと思っていましたが、
主治医の話をひとつひとつ聞くことができていたように思いました。
診察室を出てからも、家への帰り道でも淡々とした自分がいました。

でも・・・家に帰ってふっと窓の外を見たとき・・・
急に涙が溢れました。

がんと告知されてから初めて泣きました。
どうして涙が溢れるのか・・・
わからないままに泣き続けました。

もしかしたら・・・
今まで母の法要のことで自分の気持ちが
精一杯だったのかもしれません。

というより・・・
母の法要を理由に、自分ががんであることから
現実逃避していたのかもしれません。

母の法要が終わったからこそ、もう逃げることができず、
自分ががんであることを受けとめざるを得なくなったのかもしれません。

「誰か助けて!」 急にそう思いました。

思わず、仕事先に電話して、上司である課長につないでもらいました。
課長に、検査の結果を泣きながら話し終えると、
課長が「いいのよ。泣いてもいいの。泣きなさい。」と言って下さいました。

泣いてもいいんだ。我慢しなくていいんだ。

そう思うと、涙はとまらなかったけれど・・・
少しだけ心は楽になりました。
誰かに話して聴いてもらうことで 心は楽になります。救われます。

ひとりでは乗り越えられないから・・・
主治医の言葉がどこからか聞こえたような気がしました。

「がんの疑い」の告知

6/24 『がんの疑い』の告知 その1 

初めての「がんの疑い」告知は、入院後の消化器内科の主治医から。

主治医から渡された説明書には「大腸がんの疑い」と表題がついていました。

注腸検査・大腸カメラの検査結果の画像を見せてもらいながら
「この腫瘍は、我々は、がんと考えています。
ただ、典型的な原発巣の大腸がんとは違っていて、
転移性がんなのかどうかは、この画像からは診断できません。
手術時に細胞を採って病理検査をしないと確定できません。」

「がんであることは間違いないのですか?」
「はい。おそらく・・・ほぼ確定していいと考えています。」
「卵巣は?」
「卵巣については、私は専門でないのでお答えできません。」

説明書には、「大腸がんの疑い」とありますが、
主治医からの告知は疑いでなく「がん」告知でした。

なんというか・・・TVドラマでみるような重々しい雰囲気はなく、
淡々と事実として伝えられた感じでした。

主治医はなんの躊躇もなく、むしろ、普段よりもよく言えば・・・
凛としていました。
(主治医は、研修後の専攻医で、まだ若い女医さんです。)
悪く言えば、事務的?機械的?かもしれません。

でも、主治医の告知が、淡々としていたせいか・・・
私自身も感情が表出しないままでした。
今までにも「悪性腫瘍」「がんの疑い」という説明が、やんわりとあったせいかもしれません。

それよりも、早く手術してとってほしい。
早くとって、母の四十九日の法要までに治してほしい。
その思いの方が強く、がんであるという告知があまり現実的ではありませんでした。

このとき、私は、手術=がんの切除=完治 と思っていたのでしょう。

7/1 『がんの疑い』の告知 その2 

次の「がんの疑い」告知は、手術担当が一般外科と決まり、一般外科の担当医から。

ちなみに・・・私の場合、大腸が原発巣なのか、卵巣が原発巣なのか・・・確定できず。

そのため、産婦人科が担当するのか、消化器一般外科が担当するのか・・・
なかなか決まらなかったようです。
(大腸がんの転移先には、肺や肝臓が多いのですが、卵巣にもがんがあると
 結構、どちらが原発かわからず、科同士でもめる?らしいです。
     他クリニックの医師からのお話)

ICとしては、消化器内科の主治医と同じ。
やはり、説明書には「S字結腸がんの疑い 卵巣腫瘍」とありますが、
主治医からは「がん」告知でした。
あとは、手術内容や合併症のリスク、輸血についての説明が加わりました。

「たぶん、がんの原発はこの大腸だと考えています。
だから、がんのあるところから前後10cmくらいずつ切り取って、
その後、縫い合わせます。」

「卵巣の方は、見てみないとわからないけど、どちらにしても切除します。

パターンとしては3つ。

まず、卵巣自体も原発巣がんの場合。つまり、大腸とは別のがんの場合。
この場合は、手術後、大腸の治療は、こちらで行い、卵巣がんの治療は、
婦人科で、受けることになります。

2つめは、大腸がんからの卵巣への転移の場合。
この場合は、大腸がんの転移として、治療します。

3つめは、卵巣はがんでなく、良性で問題なしという場合。」

この時、はじめて、卵巣の腫瘍に「がん」という診断がついた説明を受けたことになります。
(これまでは、腫瘍という診断に留まっていました。)

少し、私の頭の中で、「転移性がん」という言葉がひっかかりました。
でも、やはり、手術=がんの切除=完治 と思っていたのです。

だから、あまり、深刻に考えることなく、母の法要に間に合うよう、
早くよくなって退院したい。その思いだけでした。

がんという病気は、手術=がんの切除=完治 とは限らない。

むしろ、がんの切除の後こそ、本当の治療の始まりであることを
私は知らなかったのです。

がん告知は当たり前

私は「がん」であるということは、入院前の検査のときから何度か聞かされていました。

病院へ入院した時も、「がん」という言葉が、病棟で日常茶飯事に
飛び交っていて、最初は、驚きました。
個人情報やプライバシーへの配慮は???と戸惑ったものです。

個室でならともかく、二人部屋や多床室でも、カーテン越しの向こうで、
「あなたのがんは、今・・・・な状態ですから。」
「前の手術で見えるがんは手術でとったけど、今回は再発してしまったからね。」
「これは、がんの痛みだから、薬で抑えられるから、そうしましょう。」
という患者さんと医師との会話がそこかしこから聞こえてきます。

もちろん、本人きちんと告知されてからのことですけど。

今や、本人へのがん告知は当たり前です。

特別な事情がない限り、本人へ告知されます。
むしろ、自分ががんであることを受け止めなければ、
がん治療はできないし、治療の選択もできないわけですから。

5/9 『悪性腫瘍の可能性』の告知 その1 

私は、「がん」かもしれないと最初に診断されたのは、
最初に受診した産婦人科のクリニックの医師から。

「かなり、厳しいことをお伝えしますが、検査の結果から、
悪性の可能性がかなり高いです。
大きな病院を紹介しますから、すぐに検査を受けてください。」

「悪性というのは「がん」ということですか?」
「・・・そういうことになります。」

「がんかもしれないか・・・」独り言のように呟きながら、
「では、病院を紹介してください。」と答えました。

このクリニックの医師からは、一度も「がん」という診断はなく、
「悪性腫瘍の可能性」という診断で伝えられました。

そのせいか、がんかもしれないというショックは多少ありましたが、
まだ、検査をしないとわからないことだからと自分に言い聞かせていました。

5/26 『悪性腫瘍の可能性』の告知 その2 

紹介された公立病院の産婦人科でも、「悪性腫瘍」か「良性腫瘍」かという
診断での説明が多く、「がん」かもしれないというように
説明された記憶がありません。

常に「悪性腫瘍の可能性が・・・」という説明に留まっていました。

そもそも、卵巣腫瘍というには、外からの検査では、確定診断ができないらしく、
結局、開腹して診ないとわからないの一点張りでした。

はっきりしないことへの苛立ちや不安は大きくなってきましたが、
がんかもしれないという不安は、現実味を帯びないままでした。
プロフィール

さくらのように

Author:さくらのように
仕事にやりがいを感じながら、日々、懸命に生きてきました。
でも、ある日、進行がんを告知され、これからの人生を
がんと向き合いながら、どう生きていくか・・・

何かに向かって懸命に生きるというこは
たとえ、それが叶わなかったとしても
誰かの生きる希望や力になれる

そう信じて・・・。

心からの笑顔いっぱいに生きていきたいと思います。

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