2012.01.18(Wed)00:16
今日は、おむすびの日
1995(平成7)年1月17日は、阪神・淡路大震災の日。
食べ物もなく、不安のどん底にいた被災者は、ボランティアによる
炊き出し(おむすび)に助けられました。
いつまでも食料とりわけ米の重要性、ボランティアの善意を忘れないために、
「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」により、2000年11月に
阪神・淡路大震災発生日の1月17日を「おむすびの日」と定められました。
ちなみに・・・
「おむすび」と「おにぎり」の違いは?
私は、どちらかといえば「おむすび」ということが多いですけど。
日本でおにぎりと言えば三角に握ったものというイメージが強いのですが・・・。
『おにぎり・おむすび風土記』(生内玲子、日本工業新聞社、)によると、
ごく大まかには、東日本は「おむすび」が多く、西日本は「おにぎり」が
多いという傾向があるようです。
おむすびというのは、元は御所の女房言葉であったそうで、
宮中の女房詞に由来する「おむすび」は上品なイメージ、
「おにぎり」は俗なイメージという見方もあります。
特に決まりというものはないようですけど、大方の慣習として、
形としては、三角形は、普通の弁当に、俵型は、いわゆる「晴れ」の席での
弁当に、作られているみたいです。
また・・・
そもそもこの「おむすび」と「おにぎり」という言い方は縁起を担いだもので、
おにぎりは「鬼切り=禍を退ける」
おむすびは「お結び=良い縁を結ぶ」から来ているとかも。
ならば、自分の思いの「おにぎり と おむすび」を心に抱き、
これからの日々を過ごしていきましょ。
そして、「おむすび」と言えば・・・
佐藤初女さんの おむすびの祈り「森のイスキア」こころの歳時記 (集英社文庫)
佐藤初女さんは、青森県の弘前にお住まいで、岩木山の麓に青森で、
心に悩みを持った方々のための施設 "森のイスキア” を主宰されています。
彼女の作ったおむすびで自殺を思いとどまった青年のエピソードがきっかけで、
ドキュメンタリー映画”地球交響曲第2番”に出演、
その名を広く知られるようになりました。
「森のイスキア」では、そこを訪ねる方々を心のこもった料理でもてなしています。
初女さんのお作りになるおにぎりは、見た目はのりで包まれた丸くて
何の変哲もないおにぎりです。
おにぎりの中身は梅干しですから、これもけっして特別のものではありません。
それでいて、なぜ、彼女のおにぎりを食べると生きる意欲がわいてくるのでしょうか。
「おむすびを作るときは、お米の一粒一粒が息ができるようにと思って握ります。
だから、ぎゅっとは握りません。お米が苦しくなってしまうからです。」
初女さんの言葉です。
一粒の米の命にさえ心を配る初女さんの思いが、おにぎりを通して、
食べる人に伝わります。
おにぎりの中のご飯一粒一粒にまで心を配っている彼女のやさしさ、
思いやりが、悩み傷ついた人に生きる意味を思い出させるのではないでしょうか。
「一粒の米が集まっておむすびになり、それを食べた人に生きる意欲と
勇気を与えることができる」という感動的な話は、一粒一粒のお米は、
一人ひとりの人間に重ね合わせることができます。
どんな小さな命も、命は同じ。大切にしなくてはいけないのです。
そして、ひとりひとりが結びあえば、人に生きる力を与えるほどの
大きな力になります。
そうであれば、こんな私でも何か役に立てるかもしれないという希望に
もつながってきます。
昨日、施設に出向きました。
夕食の際、ご利用者様のWさんが、眠そうなお顔でウトウトされ、食が進みません。
普段は、Wさんはご自身でお箸を使って、ゆっくり召し上がりますが、
私は、声をかけながら、少し食事の介助をさせて頂きました。
咀嚼や嚥下の様子をみながら、食を口元へ運ぶと、モグモグと召し上がります。
とはいえ、目を閉じたままです。
「Wさん、食べられますか?大丈夫ですか?」と声をかけると
「はぁ~い」と返事もされます。
ただ、このような場合でも、ご自分で食することへの意識はあまりないわけですから、
十分配慮しなければなりません。
口へ運べば、召し上がるからといって、どんどん食べて頂いても
食後に嘔吐されたり、腹痛や下痢を起こす危険があります。
また、呑み込みが上手くいかず、誤嚥して、詰まってしまうこともあります。
私は様子をみながら、肉などは避けて消化の良いものだけを
ゆっくり介助させて頂きました。
2/3ほど召し上がったところで、げっぷをされたので、「大丈夫ですか?
まだ、召し上がりますか?」と尋ねると「もういいわ。今日は、もう食べられんわぁ」
と言われましたので、「じゃあ、今夜はこれで終わりましょうか?」と
再度、声をかけて終えました。
その後、他のご利用者様に呼ばれたので、S職員に、「Wさん、今日は、少し食が
進まないので、これで終わりにしましょう」と伝え、対応してリビングへ戻ると、
S職員が、Wさんの残っていた1/3の食事を介助しており、
ちょうど最後の一口を終えたところでした。
S職員は、私に「全部、食べられましたよ!」とニコニコ顔。
私は「そう。召し上がったのね」とWさんの顔を覗くようにしてみると、
口から噛みきれなかった鶏肉をどっさり出され、げっぷを繰り返されました。
S職員には、できるだけ全部召し上がってほしいという思いがあったのでしょう。
その気持ちも大切です。
そこで、S職員に「全部、召し上がって頂くことが大切なわけではないの。
大切なのは、利用者様のからだに負担なく、美味しく召し上がって頂けること。
そして、夕食は、その後、眠られるわけだから、胃や腸に負担がかからないように。
ゆっくり気持ちよく眠ることができるように。
お腹が過ぎすぎても眠れないし、食べすぎても気持ち悪くなっちゃうよ。」と伝えました。
S職員も「そうですね。僕達でも、食いすぎると気持ち悪くなりますもんね。
すいませんでした。」とわかってくれました。
今、私のできることは、こうして、職員にケアの大切さを伝えていくこと。
明日も処遇会議と研修についての話し合いがあるので、施設に出向きます。
1995(平成7)年1月17日は、阪神・淡路大震災の日。
食べ物もなく、不安のどん底にいた被災者は、ボランティアによる
炊き出し(おむすび)に助けられました。
いつまでも食料とりわけ米の重要性、ボランティアの善意を忘れないために、
「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」により、2000年11月に
阪神・淡路大震災発生日の1月17日を「おむすびの日」と定められました。
ちなみに・・・
「おむすび」と「おにぎり」の違いは?
私は、どちらかといえば「おむすび」ということが多いですけど。
日本でおにぎりと言えば三角に握ったものというイメージが強いのですが・・・。
『おにぎり・おむすび風土記』(生内玲子、日本工業新聞社、)によると、
ごく大まかには、東日本は「おむすび」が多く、西日本は「おにぎり」が
多いという傾向があるようです。
おむすびというのは、元は御所の女房言葉であったそうで、
宮中の女房詞に由来する「おむすび」は上品なイメージ、
「おにぎり」は俗なイメージという見方もあります。
特に決まりというものはないようですけど、大方の慣習として、
形としては、三角形は、普通の弁当に、俵型は、いわゆる「晴れ」の席での
弁当に、作られているみたいです。
また・・・
そもそもこの「おむすび」と「おにぎり」という言い方は縁起を担いだもので、
おにぎりは「鬼切り=禍を退ける」
おむすびは「お結び=良い縁を結ぶ」から来ているとかも。
ならば、自分の思いの「おにぎり と おむすび」を心に抱き、
これからの日々を過ごしていきましょ。
そして、「おむすび」と言えば・・・
佐藤初女さんの おむすびの祈り「森のイスキア」こころの歳時記 (集英社文庫)
佐藤初女さんは、青森県の弘前にお住まいで、岩木山の麓に青森で、
心に悩みを持った方々のための施設 "森のイスキア” を主宰されています。
彼女の作ったおむすびで自殺を思いとどまった青年のエピソードがきっかけで、
ドキュメンタリー映画”地球交響曲第2番”に出演、
その名を広く知られるようになりました。
「森のイスキア」では、そこを訪ねる方々を心のこもった料理でもてなしています。
初女さんのお作りになるおにぎりは、見た目はのりで包まれた丸くて
何の変哲もないおにぎりです。
おにぎりの中身は梅干しですから、これもけっして特別のものではありません。
それでいて、なぜ、彼女のおにぎりを食べると生きる意欲がわいてくるのでしょうか。
「おむすびを作るときは、お米の一粒一粒が息ができるようにと思って握ります。
だから、ぎゅっとは握りません。お米が苦しくなってしまうからです。」
初女さんの言葉です。
一粒の米の命にさえ心を配る初女さんの思いが、おにぎりを通して、
食べる人に伝わります。
おにぎりの中のご飯一粒一粒にまで心を配っている彼女のやさしさ、
思いやりが、悩み傷ついた人に生きる意味を思い出させるのではないでしょうか。
「一粒の米が集まっておむすびになり、それを食べた人に生きる意欲と
勇気を与えることができる」という感動的な話は、一粒一粒のお米は、
一人ひとりの人間に重ね合わせることができます。
どんな小さな命も、命は同じ。大切にしなくてはいけないのです。
そして、ひとりひとりが結びあえば、人に生きる力を与えるほどの
大きな力になります。
そうであれば、こんな私でも何か役に立てるかもしれないという希望に
もつながってきます。
昨日、施設に出向きました。
夕食の際、ご利用者様のWさんが、眠そうなお顔でウトウトされ、食が進みません。
普段は、Wさんはご自身でお箸を使って、ゆっくり召し上がりますが、
私は、声をかけながら、少し食事の介助をさせて頂きました。
咀嚼や嚥下の様子をみながら、食を口元へ運ぶと、モグモグと召し上がります。
とはいえ、目を閉じたままです。
「Wさん、食べられますか?大丈夫ですか?」と声をかけると
「はぁ~い」と返事もされます。
ただ、このような場合でも、ご自分で食することへの意識はあまりないわけですから、
十分配慮しなければなりません。
口へ運べば、召し上がるからといって、どんどん食べて頂いても
食後に嘔吐されたり、腹痛や下痢を起こす危険があります。
また、呑み込みが上手くいかず、誤嚥して、詰まってしまうこともあります。
私は様子をみながら、肉などは避けて消化の良いものだけを
ゆっくり介助させて頂きました。
2/3ほど召し上がったところで、げっぷをされたので、「大丈夫ですか?
まだ、召し上がりますか?」と尋ねると「もういいわ。今日は、もう食べられんわぁ」
と言われましたので、「じゃあ、今夜はこれで終わりましょうか?」と
再度、声をかけて終えました。
その後、他のご利用者様に呼ばれたので、S職員に、「Wさん、今日は、少し食が
進まないので、これで終わりにしましょう」と伝え、対応してリビングへ戻ると、
S職員が、Wさんの残っていた1/3の食事を介助しており、
ちょうど最後の一口を終えたところでした。
S職員は、私に「全部、食べられましたよ!」とニコニコ顔。
私は「そう。召し上がったのね」とWさんの顔を覗くようにしてみると、
口から噛みきれなかった鶏肉をどっさり出され、げっぷを繰り返されました。
S職員には、できるだけ全部召し上がってほしいという思いがあったのでしょう。
その気持ちも大切です。
そこで、S職員に「全部、召し上がって頂くことが大切なわけではないの。
大切なのは、利用者様のからだに負担なく、美味しく召し上がって頂けること。
そして、夕食は、その後、眠られるわけだから、胃や腸に負担がかからないように。
ゆっくり気持ちよく眠ることができるように。
お腹が過ぎすぎても眠れないし、食べすぎても気持ち悪くなっちゃうよ。」と伝えました。
S職員も「そうですね。僕達でも、食いすぎると気持ち悪くなりますもんね。
すいませんでした。」とわかってくれました。
今、私のできることは、こうして、職員にケアの大切さを伝えていくこと。
明日も処遇会議と研修についての話し合いがあるので、施設に出向きます。
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