2012.03.27(Tue)23:36
私には一緒に暮らす家族がいません。
ひとりだからこそ、ひとりでも頑張っていこうと前向きに考えることが
できることもあります。
そして、家族がいないからこそ、自分だけのことを考える自由があります。
もし、夫や子ども、両親などの家族がいたら・・・
「自分のためだけでなく、家族のためにも、生きていく
生きていかなければ・・・。」
きっとそう思うでしょう。そしてまた・・・
「こんな病気になって何もしてあげられない。迷惑ばかりかけてしまっている。
こんな私が生きていていいのだろうか」とも思い無力感に苛まれたりするのでは
ないか・・・とも思うのです。
逆に、もし、私が家族の立場であったのなら・・・
ただただ、生きていてほしいと願い、何かできることはないかと
あらゆる手をつくしたいと思うことでしょう。
そしてまた、治療で苦しむ姿に、何もできない無力感を感じることでしょう。
「もうこれ以上、辛い思いはさせたくない。だけど・・・だけど・・・
生きていてほしい。ただただ生きていてほしい。そして・・・
できうるのなら、この辛さを乗り越えてほしい。」と患者の家族だからこその
辛さや苦しみを抱えます。
家族自身も、第2の患者であり、支えが必要になります。
私も、長い間、両親の看護介護をしてきました。
同居はしていなかったのですが、できる限りの時間をつくり、在宅療養中は
実家に帰り、入院療養中は、病院に行きました。
父は、脳梗塞が徐々に進み、嚥下障害から誤嚥性肺炎になり、入院しました。
食べることが何よりも好きだった父は、何も食べることができなくなり、
点滴につながれたまま、入院してから1か月半後、亡くなりました。
すでに、発語の機能障害からほとんど話すこともできなくなっていましたが、
高熱が続き、苦しそうな顔をみていると、何もできない自分が空しくなりました。
それでも、その時その時にできる限りのことをしてきましたが、どれだけのことを
しても、もっと他にできることはないのかと自分を責めたりもしました。
母も肺気腫がターミナル期になり、アルツハイマー認知症から、人格が変わりました。
感情を表現することがままならなくなり、暴言や暴力的な行為も
見られるようになりました。
認知症が進行していく中で、母は私に言いました。
「自分で自分がわからなくなる・・・。どうなってしまうのか思うと怖い。」と。
自分の病気が進行していく・・・
自分が自分でなくなっていく・・・
どんなに辛かったことでしょう。どんなに悲しかったことでしょう。
私には、母にかける言葉がみつからなくて、ただ黙っていることしかできず・・・。
そんな自分が無性に腹立たしくて、怒りをぶつける矛先もなくて苛立ちました。
そして、悲しかった。空しかった。
もっと、元気なうちに一緒に買い物に付き合ってあげればよかった。
もっと、愚痴話を聞いてあげればよかった。
もっと、喧嘩ばかりしないで、優しくしてあげればよかった。
言葉にして・・・
「お母さんの子どもに生まれてきてよかった」と伝えたかったと。
もっと・・・もっと・・・もっと・・・
後悔ばかりです。何一つ、これでよかったと思えることが見つかりません。
けれど、今思うのです。
どんなに尽くしても尽くしきれなかったという思いが残る。
それは・・・父を、母を・・・心から愛していたからこそだと思います。
私は両親をこんなにも愛すことができたと・・・
今は、幸せに思うことができるようになりました。
たったひとつだけ・・・今も心残りであることは、母に
「お母さんの子どもに生まれてきてよかった」と伝えられなかったこと。
母は、私が病室に駆けつけると同時に、息を引き取りました。
いつも、母は私に、「アンタの足音はすぐわかる」と言って、実家へ帰ると
いつも窓から手を振って迎えてくれました。
最期の時も、私の足音を聞いて安心して、旅立ったのだと思います。
父には、父が急変し、もう、わずかな時間しか残されていないと医師に告げられた時
私は父に伝えました。
「私、お父さんの子どもでよかったよ。お父さんが、私のお父さんでよかったよ。」
「お父さん、本当にありがとう。」
「お父さん、私の言うこと、聞こえた?もし聞こえたなら、いつもように手を握って。」
そういうと、それまで意識が朦朧として、目もうつろだった父が、はっきりと
私を見つめ、かすかに手を握り返してくれました。
そして、父はその言葉を待っていたかのように・・・その直後、血圧が急低下しました。
呼吸が弱くなっていく父に、私は言いました。
「お父さん、もう頑張らなくていいよ。お父さんが私達のために、これまで頑張って
きてくれたこと、私はわかっているから。
もう、いっぱいいっぱい頑張ってくれたから・・・もう楽にしていいよ。
もう頑張らなくていいよ。私はわかっているから・・・」
そう言い終えた時、父はゆっくりと、私を見つめていた瞼を閉じました。
あなたがこうして生きていてくれるだけでいい。
あなたをこんなにも愛している。
私には、あなたはかけがえのない人。
家族であれば言葉にしなくても、わかりあえることなのでしょう。
元気であれば、お互いに伝えあわなくてもいいのかもしれません。
けれど・・・病気と向かい合っている患者と家族であるからこそ、
声にして・・・言葉にして・・・伝えたい言葉です。
私も弟達に伝えたいと思います。
「あなた達ふたりは、私の誇り。
私は、あなた達の姉であることを誇りに思うよ。
こんなにも、素敵な誇りを持てる私にしてくれてありがとう」と。
ひとりだからこそ、ひとりでも頑張っていこうと前向きに考えることが
できることもあります。
そして、家族がいないからこそ、自分だけのことを考える自由があります。
もし、夫や子ども、両親などの家族がいたら・・・
「自分のためだけでなく、家族のためにも、生きていく
生きていかなければ・・・。」
きっとそう思うでしょう。そしてまた・・・
「こんな病気になって何もしてあげられない。迷惑ばかりかけてしまっている。
こんな私が生きていていいのだろうか」とも思い無力感に苛まれたりするのでは
ないか・・・とも思うのです。
逆に、もし、私が家族の立場であったのなら・・・
ただただ、生きていてほしいと願い、何かできることはないかと
あらゆる手をつくしたいと思うことでしょう。
そしてまた、治療で苦しむ姿に、何もできない無力感を感じることでしょう。
「もうこれ以上、辛い思いはさせたくない。だけど・・・だけど・・・
生きていてほしい。ただただ生きていてほしい。そして・・・
できうるのなら、この辛さを乗り越えてほしい。」と患者の家族だからこその
辛さや苦しみを抱えます。
家族自身も、第2の患者であり、支えが必要になります。
私も、長い間、両親の看護介護をしてきました。
同居はしていなかったのですが、できる限りの時間をつくり、在宅療養中は
実家に帰り、入院療養中は、病院に行きました。
父は、脳梗塞が徐々に進み、嚥下障害から誤嚥性肺炎になり、入院しました。
食べることが何よりも好きだった父は、何も食べることができなくなり、
点滴につながれたまま、入院してから1か月半後、亡くなりました。
すでに、発語の機能障害からほとんど話すこともできなくなっていましたが、
高熱が続き、苦しそうな顔をみていると、何もできない自分が空しくなりました。
それでも、その時その時にできる限りのことをしてきましたが、どれだけのことを
しても、もっと他にできることはないのかと自分を責めたりもしました。
母も肺気腫がターミナル期になり、アルツハイマー認知症から、人格が変わりました。
感情を表現することがままならなくなり、暴言や暴力的な行為も
見られるようになりました。
認知症が進行していく中で、母は私に言いました。
「自分で自分がわからなくなる・・・。どうなってしまうのか思うと怖い。」と。
自分の病気が進行していく・・・
自分が自分でなくなっていく・・・
どんなに辛かったことでしょう。どんなに悲しかったことでしょう。
私には、母にかける言葉がみつからなくて、ただ黙っていることしかできず・・・。
そんな自分が無性に腹立たしくて、怒りをぶつける矛先もなくて苛立ちました。
そして、悲しかった。空しかった。
もっと、元気なうちに一緒に買い物に付き合ってあげればよかった。
もっと、愚痴話を聞いてあげればよかった。
もっと、喧嘩ばかりしないで、優しくしてあげればよかった。
言葉にして・・・
「お母さんの子どもに生まれてきてよかった」と伝えたかったと。
もっと・・・もっと・・・もっと・・・
後悔ばかりです。何一つ、これでよかったと思えることが見つかりません。
けれど、今思うのです。
どんなに尽くしても尽くしきれなかったという思いが残る。
それは・・・父を、母を・・・心から愛していたからこそだと思います。
私は両親をこんなにも愛すことができたと・・・
今は、幸せに思うことができるようになりました。
たったひとつだけ・・・今も心残りであることは、母に
「お母さんの子どもに生まれてきてよかった」と伝えられなかったこと。
母は、私が病室に駆けつけると同時に、息を引き取りました。
いつも、母は私に、「アンタの足音はすぐわかる」と言って、実家へ帰ると
いつも窓から手を振って迎えてくれました。
最期の時も、私の足音を聞いて安心して、旅立ったのだと思います。
父には、父が急変し、もう、わずかな時間しか残されていないと医師に告げられた時
私は父に伝えました。
「私、お父さんの子どもでよかったよ。お父さんが、私のお父さんでよかったよ。」
「お父さん、本当にありがとう。」
「お父さん、私の言うこと、聞こえた?もし聞こえたなら、いつもように手を握って。」
そういうと、それまで意識が朦朧として、目もうつろだった父が、はっきりと
私を見つめ、かすかに手を握り返してくれました。
そして、父はその言葉を待っていたかのように・・・その直後、血圧が急低下しました。
呼吸が弱くなっていく父に、私は言いました。
「お父さん、もう頑張らなくていいよ。お父さんが私達のために、これまで頑張って
きてくれたこと、私はわかっているから。
もう、いっぱいいっぱい頑張ってくれたから・・・もう楽にしていいよ。
もう頑張らなくていいよ。私はわかっているから・・・」
そう言い終えた時、父はゆっくりと、私を見つめていた瞼を閉じました。
あなたがこうして生きていてくれるだけでいい。
あなたをこんなにも愛している。
私には、あなたはかけがえのない人。
家族であれば言葉にしなくても、わかりあえることなのでしょう。
元気であれば、お互いに伝えあわなくてもいいのかもしれません。
けれど・・・病気と向かい合っている患者と家族であるからこそ、
声にして・・・言葉にして・・・伝えたい言葉です。
私も弟達に伝えたいと思います。
「あなた達ふたりは、私の誇り。
私は、あなた達の姉であることを誇りに思うよ。
こんなにも、素敵な誇りを持てる私にしてくれてありがとう」と。
スポンサーサイト